水彩人搬入日

   

第17回水彩人展の搬入が行われた。搬入者数は昨年とほぼ同じ、124名であった。会全体としては10数名仲間が増えたということになる。遠方からもかなりの数の方が初出品された。徐々に全国的に情報が広がりつつある感じがした。大勢の方が直接搬入をしてくれた。私はパソコンの担当で、てんてこ舞いでゆっくり話すこともできなかった。パソコンと借りたコピー機の連結が悪く、動き始めが手間取ってしまった。先に準備しておくべきこともあったということが、初めて見たらわかったが、すぐ作動すれば打ち出しはその場出来ると考えたことが間違いだった。来年は必要書類は、事前に打ち出してゆくことにする。家を7時のバスで出ると、東京都美術館に9時15分に着くことができる。遅れた時は8時30分の新幹線で行くとぎりぎり滑り込みである。しばらく、通勤のように東京に通わなくてはならない。どんな絵が集まるのかそれが楽しみだ。今年は里山の絵を出品した。篠窪で描いた4点である。どんなものに見えるのか不安と楽しみがある。

今年から事務所を担当しているので、準備まで気が休まらなかった。水彩人は小さな絵の研究会から始まり、最初は展覧会をすることすらなかった。それが研究会展を開くようになり、今は公募展を開催することになった。たぶん大半のメンバーが本意とは言えないのだと思う。水彩画の研究を続けるには、ほかに選択の道がなく、現在の形まで来た。そのために、公募展を開く事務体制がない、、やむえず私が引き受けることにした。そうしなければ公募展の事務所体制が作れないと考えたからだ。一月から急遽引き受けて、何とか9月の展覧会まで来た。まだ、グループ展に参加している意識の人もいるし、またそうありたいと考えて水彩人に加わったのだから、今の状況に戸惑っている人もいるだろう。私としては、絵が描けるうちは水彩人は必要なので、全力で取り組んでゆくつもりだ。

事務所仕事のコンピューター化。連絡事務のメール化。これが第一に進めていることだが、何ともこれが難しい。何しろ、あて名書きですら、手書きが一番早い。あるいは手書きでなければ失礼だろうという人が頑張っているのが、絵描きの世界だ。しかし、いくつかの市民団体の運営にかかわった経験からわかっていることは、うまくメールやパソコンを利用できなければ活動は広がらない。たぶん成立しない。ところが絵を描く人というのは、機械に抵抗の強い人がいる。できないというより、それを自分の信条にしているタイプの人がいる。だから、そういう人でもかかわれるようなバランスで進めなくてはならない。そこで3年前から、派遣の方をお願いして、事務仕事をやって頂いている。ところが派遣の方は人が変わる。毎年、公募展の受付業務の説明から入らなければならない。今年は昨年お願いした、優秀な方に無理を言って頼むことができた。シルバーウイークのおかげだ。それで何とか難しいところを乗り切ってくれた。何とも綱渡りである。

絵がどんなであったかというと、上手い絵が多かったという印象である。上手いから駄目だとは言えないが、上手いは絵の外という言葉もある。上手いだけでは絵とは言えないのだが。上手いがために褒められることが普通であろう。そこを突き抜けることがかえって難しくなる。誰が描いてもうまい絵は良く似ている。うまい絵というだけで行き詰まる。だめだという自覚が持ちにくい。やたら下手だけど、何かいいものが潜んでいる。そういう絵が見たい。結局同人の絵が一番破たんがあるという感じだ。下手は絵の内ということになる。

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