80歳の私に
80歳の私へ、
あなたに私は会えるのかどうか。このメールをあなたは読んでいるのだろうか。それともすでにこの世とおさらばしているのだろうか。80歳の老人として生きているとして想像して手紙を書いてみる。今日64歳を迎えた私が、16年後の私にメールを書いている。何か想像しがたいものがあるが、もし生きているとすれば、まずは、おめでとうと言うことになる。何がおめでたいかは分からないが、長生きすることは悪くはない。何をやるにも時間はかかる。2013年時点での、日本人64歳の平均余命はおおよそ20年ということである。後1年生きれば65歳で、考えていた最低ラインのクリアーである。平均余命からすれば、後16年だから、80歳のあなたは生きている可能性の方が高いということになる。65歳まで元気でいられれば、納得しなければならないと思っていたが、後一年までついに来た。別段年を取ることは情けないとか、逆に老人力とかいうほどのものでもない。一年づつその年齢らしく十二分に生きてゆき、80歳のあなたに会いたいものである。
早速のことですが、絵はどうしましたか。それが一番気になるところです。納得したものを少しは描けましたか。そもそも絵を描いていますすか。64歳になった今の状況では、もうしばらく絵を描くことが出来れば、少しは絵らしいものを描けている可能性はあると思っています。16年前の絵を見て、どう思いますか。今海の連作を書いています。今描いている絵とあなたの絵は似ているのでしょうか。それとも全く違うものなのでしょうか。最悪の場合を想定すれば、あの頃はまだ絵に元気があって良かったなどと思っているのでしょうか。自分らしい絵を描きたいと、自分がみている世界を絵にしたいと。自分の世界というものを確立したい。こういうことで、今はあがいていますが、80歳になったらそういうことはどうなるのでしょうか。そうでもないのでしょうか。何かをつかんだと、思えているでしょうか。あるいは諦めているのでしょうか。心配する訳でもないですが。今日も絵が全く描けません。一日絵と向かい合って唸るばかりです。
まだ農作業は出来ていますか。失礼な言い方になるかもしれませんが、農作業は無理なのではないかとおもっています。あと75歳まで畑に出ていれば、大したものだと思っています。人間何歳まで、自給できるものでしょう。自給できなくなれば、終わりという訳にもゆきませんが、自給できないあなたはどうなっているのでしょう。まあ、80歳で細々でもやっているならば幸いなことです。80歳のあなたになるまで、後16年の時間があります。この16年は今までの64年間に比べて、質が変えたいと考えています。64年間はこの先があるという意識で、学びというか探求ということでした。この先は、明確に結論に向けて生きているはずです。ダメなのは結論を出す能力がないということになります。最後の結論は死ということですが。死ぬときに、臨んだ自分に到達したいものです。死はまだ先と思っていても、そうとも言えない年齢です。80歳になれば、いつでもお迎えが来るという覚悟でしょうか。それとも相変わらず、90歳の自分など想像しているのでしょうか。
日本人の男性は、平均寿命が80歳。世界一だそうです。この結果というのは、すべての総合なのでしょうから満足し、感謝しなければならない事だと思う。だって、寿命というのはすべての総合の結果です。子供の頃の核実験は福島の比ではない。今の中国以上の大気汚染でした。食べ物の添加物の急速な使用。農薬の使用量は世界1。寿命は減少過程に入るという学者もいたが、たぶんまだまだ伸びて、平均寿命が90歳くらいにはなることでしょう。100歳の人だってそう珍しいことではなくなるでしょう。64歳まで特別な病気ということもなく、幸運というしかありません。体力は年々落ちてきていますが、いまのところ田んぼが無理というほどでもないですが、一年一年が重要になります。田んぼは少しわかりかかっていますが。予想を越えたことが新たに出現してまた出直しになります。