庭の蓮池

   


庭にある池の蓮の花である。すでに花弁が落ち始めていた。この蓮池は雨水が流れ込むだけだから、今は水もお湯のようになって淀んでいる。庭に池があるというのは、子供の頃からの家のイメージである。お寺育ちだからだろう。夏になればその池で泳ぐことが出来るほど広く深い池があった。それは山からの湧水を池で貯めて、温まった水を田んぼに流すようにしてあったのだ。池には鯉が飼ってあって、時々釣っては食べた。池には家の洗い水が流れ出るようになっていた。それが鯉の餌である。同時にトイレの貯水槽が2槽になっていて、1槽の底から2槽に押し出されるようになっていた。そのコイダメの2層があふれでると池に入る。これが鯉の餌である。大半の糞尿は落ち葉にかけて堆肥を作っていた。別段臭いようなことはなかった。その2槽からさらに溢れ出る分があれば池に流れ込む訳だ。お寺の畑は、確か全部で1町歩あったので、肥料はいつも不足ぎみで、溢れるでるようなこともめったにない。鯉頭でっかちで、痩せていた。

この池の鯉を日本カワウソが食べに来た年があった。昭和30年ころの話である。大きなコイが何度かとられ、池の傍で立ち上がっているカワウソがいたそうだ。お婆さんと和真おじさんと2人で何度も観察したということだ。鯉を取られるので、おじいさんは怒っていたが、二人はカワウソが食べるのだから、勘弁してほしいと主張して譲らなかった。これを河童というのではないかと、20代で死んだ和真おじさんが本気で言っていた。今はほとんど水のない川になってしまった境川もその頃は豊かに水が流れていた。夏になれば毎日泳ぐ川だった。堰き止めては深い淵を作った。近所の子供たちはそれには加わらなかった。どこの子供も小学生ぐらいになれば、それなりに働いていた。私もおじいさんに草取りなど仕事は云い付けられていたが、怒られても川遊びの誘惑には勝てなかった。仕事をやらなかったのは、よく状況が分からない子供だったからだ。今思えば恥ずかしい気分なる。

今ある池は、屋根の雨水を集める小さな池である。水はよほどのことがなければ半分しかたまらない。やはり2段式になっていて、水が余れば、奥の池まで行くようになっている。絵を描く位置から水面が見えるようになっている。狭い場所ではあるが、絵を描くにはとてもこの池が参考になる。小島善三郎もモネも絵を描くための庭と池を作った。池があると描くことの出来る庭に変化をする。今は睡蓮と、花蓮と、クワイだが、以前は田んぼの雑草を取ってきては植えて観察した。ところが雑草と言いながら池では環境が合わないのか、雑草のはずがすぐ枯れてしまう。以外にしぶとさのない情けない奴らである。オモダカなどなかなか野趣があり、眺めるには良いものである。花が来る花丙の枝ぶりなど、カンランに引けを劣らない風情がある。今生き残って咲いているのは、睡蓮と、この花蓮と、クワイだけである。池では園芸種が元気なのかと考えさせられる。

雑草たちはみんな枯れたのだ。黒グワイも、あのコナギまで枯れたが、食用のクワイを植えたのは元気である。池という環境が、あまりに人工的な環境で、野生のものには、順応できない何かがあるのではないか。今度また屋根の水が池に行くように直した。雨が降るのが楽しみである。上手くゆくようなら、本当は金魚を飼いたい。金魚に凝ったことがあったが、金魚は奥が深い江戸趣味である。金魚だと猫がとるかもしれないので、メダカぐらいだろうか。以前、この池に自然にメダカが湧いたことがある。多分、桑原からとってきたカナダモにメダカの卵が産みつけられていたのだと思う。そういえばあのカナダモも今はなくなった。そのメダカもいつの間にか消えてしまった。その時は、銅板の屋根の緑青がいけないのだと思い、雨水が入らないようにしたのだった。今度は作業場の屋根は、アクリル板なので、この水なら大丈夫だろう。

 - 身辺雑記