集団的自衛権行使、全面解禁へ
日本にとっての集団的自衛権とは何か。アメリカが攻撃を受けたとき、アメリカと一緒になって戦争をすることを意味するのだろう。最近在ったことでいえば、イラク戦争に自衛隊が加われるかどうかである。アメリカは世界の警察のつもりになって、あちこちの戦争に出掛けてゆく。この法的根拠を集団的自衛権としている。つまり、テロ攻撃をするアルカイダをせん滅する必要も権利も、アメリカにはあるという論理である。日本は、アメリカの武力に守られているのだから、このテロ対策に加われということがある。今まで、日本は憲法9条によって、国際紛争は武力によって解決しないとしてきたので、海外に出て行く戦争には、自衛隊は加われないことになっている。これが、かろうじて日本が直接に戦争に加わらないで、来れた戦後68年間である。確かに、ベトナム戦争に加わらず、卑怯な国家だと思われたかもしれない。韓国は積極的に戦闘に加わった。アメリカはベトナムで大きな戦争をして敗戦をしたのだ。戦争というものが、いかに無意味かが分かる。もし憲法9条がなければ、日本も不毛なベトナム戦争に加わっただろう、危うかった。
安倍氏を中心とした自民党では、日本の集団的自衛権を主張している。つまり、アメリカの行う戦争に加わろうということである。そういう要請がアメリカから強く行われていることだろう。そのアメリカの要請を断れば、中国の進出に対して、日本を支持しないと脅かされている可能性がある。アメリカのやって来た戦争をもう一度考えてみるべきだ。ベトナムはアメリカが敗戦し、引き揚げてどうなったか。共産化すると主張していたアメリカの読みはどれほど間違っていたか。イラクの現状はどうであるか。アメリカの行ったことは、それだけの正義があったとは言えない。あのとき、自衛隊も後方支援とか、曖昧な形で戦争に参加した。お金を出すだけではだめだ。一緒に命がけで戦わなければ国際社会から白い目で見られる。こういう話だった。つまりチンピラの抗争のような理屈を主張していた。中国が攻めてくる。アメリカの手下でいなければ、核の傘の下にいなければ、危ういという空気が最近盛り上げられている。
世界のバランスは、軍事力で成立しているかのような前近代的な世界情勢の見方だ。武力の方向は、国内の反政府勢力に対してだ。現代社会の世界バランスは経済とその関係である。中国が日本の技術や、資本を必要とした時代には、日本は熱烈歓迎であった。侵略戦争責任など棚上げであった。ところが、日本の相対的経済力が低下してきたら、中国にとって日本は経済競争の協力者ではなくなってきた。ライバル的側面が増大した。経済とはそういうものだろう。ここでも、中国と、韓国の関係をよく見ている必要がある。サムスンの中国進出がどうなるのか。たがいに役に立てば、仲良く。そうでなければどうなるか。もう少し長い目で見ていた方がいい。尖閣や、武力や、感情論など無意味なのだ。日本人の一番の弱点である。だから賢明な徳川幕府は鎖国をしたのだろう。
現在自民党は、「(政府の有識者懇談会で)憲法との関係の整理について検討が行われており、懇談会の議論を踏まえて対応を改めて検討していく。」としている。つまり、憲法を変更することなく、戦争に海外まで行けるという解釈をしようということである。有識者懇談会などというものは、政府の都合のよい解釈をする集まりと考えるしかない。今まで、集団的自衛権は、極東に限られるというのが、政府の共通認識であった。極東がどこまでかという論議がさんざん行われてきた。ところが、同盟国アメリカが受ける攻撃に対しても、集団的自衛権を行使するとなれば、憲法の解釈では済まないはずである。憲法改定が必要である。ここまで、拡大解釈をすることは、法治国家とは言えない。政府が憲法を都合よく解釈する。泥棒にも一理の理ということにならないか。
昨日の自給作業:お茶畑の鶏フン採り2時間 累計時間:8時間