12月の自給作業

   

寒いこの時期畑で頑張っている、作物に敬意を表して列挙してみる。大根、小カブ、小松菜、ホウレンソウ、菜の花、イチゴ、アスパラ、サトイモ、キャベツ、白菜、ブロッコリー、カリフラワー、小麦、大麦、そら豆、きぬさや、タマネギ、ニンニク、生姜、秋じゃがいも。ハウスの中では、ニラ、ニンジン、小松菜、小カブ、この時期収穫できるものは少ないのだが、結構畑で成長している種類はある。冬は作物栽培というより、環境整備である。普段遅れて居て気に成ることを片づけることに成る。斜面の管理。悪い草の整理。柵の直し。竹藪の整備整頓。ハザ掛け竿の切りだし。木の選定片づけ。堆肥づくり。機械の整備。一年間の片づけと来年の準備作業。これがしっかりできていると来年も気持ちの良い農業が出来る。この冬はできる限りもみ殻クン炭を畑に戻してゆく。

土壌が自分の把握できたものになれば、安定して自給が出来る。自給農業は美しくなければならない。雑然とした中では心が晴れ晴れとするような、気持ちの良い作業は出来ない。楽しい自給でありたい。農業の芸術を極めるようなものである。草一本ない畑を美しいと多くの農業者は感じていると思う。それは正しい感性である。しかし、草に覆われた美しい畑だってありうると考えるなら、それを、身を持って実現しなければならない。畑の姿で示さなければならない。マルチを使うのもよし、ビニールハウスも良い。キュウリの棚でも、木や竹で組んだ方が美しい、というのも少し違う。合理性を持って全体が循環的に構成されていれば、全体が合理的に使われているなら、それは美しいはずである。あえて言えば、機械的にまっすぐだから美しいという事も無い。畝がわずかな地形に反応して曲がっているのも美しいものだ。畑が自分の表現に成ること。自分の美の感性が隅々まで届いているということ。

畑の芸術、田んぼの芸術というのは、季節ごとに変化して、移ろい消えてゆく。しかもご先祖の意図を汲み、子孫に繋いでゆく。これがまた良い。日本の江戸時代の農業者は美しい田んぼを作ろうとした芸術家に違いない。そこには無数の無名の芸術家が居り、日本という美しい国を作り上げたのだと思う。何を生きる目標にするかである。それが成立したのは、その価値を認識できる鑑賞者がいたからである。自給農業をすれば、何とか生きてはいける。無名であること。貧乏であること。欲を少なくすること。こうしたことを受け入れれば、可能になる。

○「土づくり」の考え方。
土づくりは腐植を増やす事が考え方の基本。落ち葉でも草でもいいが、継続して入れて行く。もみ殻クン炭も良い。作物を作りながら、どうやって腐植を増やすかである。堆肥にして入れるのが基本。堆肥は鶏小屋で作る。鶏が糞と腐植を混ぜて堆肥化してくれる。鶏小屋に藁を入れる。草を入れる。作物の残渣をどう入れるかである。麦でも、稲でも大量の藁が出る。これをその場で堆肥にして戻す。腐植は入れ過ぎなどということはない。作物を採ると言う事とのバランスである。
○コンテナ栽培の研究をしたい。
作物によってはプランターで作る規模が適量のものもある。ニンジンはこれが安定し一年中少しづつ食べれる。長ネギも良い。葉ネギであれば、切っては使えば結構再生して使える。少しあればいいというような野菜、パセリなどの香味野菜。あるいは雑草に弱い野菜は、プランター栽培が向いている。ハウスの中に移動もできる。

12月の作業は、みかんの収穫。今年はみかんがついに2本だけになった。それも、小麦の会のみかんを採らしてもらう範囲である。自給にはその程度がちょうどいい。麦踏と合わせて、月末に行えば良いだろう。麦踏は年内に一度目を行う。一度目の麦踏は軽くて良い。年を明けての麦が大きく成ってからの麦踏は強くして行く。一度目は2葉期以降と考えている。タマネギの草取りは、こまめに行う以外にない。この時期はまだ取りやすいので、根気良くやるしかない。土寄せも併せて行う。草取りの後またもみ殻クン炭薪をして置く。果樹の剪定。冬の堆肥入れ。養鶏場から出来る限り堆肥を出して撒ける所には撒く。この時期の散布が一番影響が緩やかでいい。

昨日の自給作業:草刈り1時間 累計時間:21時間

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