有機農業の展望

   

タマネギの補足をまず書いておく。11月7日に裏の畑を熱心にやられているお婆さんが、小松菜の収穫をされていた。それで、「タマネギの苗は植えないのですか。」と聞いてみた。私は、7,8日に植えた。断言的にやらないと言われていた。自分の両親もタマネギはやらなかった。タマネギにはお天道様が足りないと常々言っていたそうだ。「タマネギは使うので、何度も作っては見たけれどうまく行かない。小さいラッキョウのようなものばかりできる。2,3度よく出来た年もあったが、大抵は駄目だ。それでもう作るのを止めたのだ。」と言われた。原の方では上手に作る人がいるよ。と教えてくれた。原の方の上手な人は、地面の色が変わるほど、肥料をくれている。とも言われていた。自分はパラパラ程度だったからいけなかったのかもしれないと言われていた。その量は私が考える量よりはるかに多かったのだが。日照不足を補うには、化学肥料は効果的である。

適地適作ということが、隣の部落との間でも起こるのかと思う。久野で本格的にタマネギを作る人は、二宮や中井の方で畑を借りて作る。年一作でもその方が効率が良いと田中さんが言われていた。どうもタマネギの失敗の繰り返しは、私が下手なばかりではないようだ。有機農法で作物を作るということは、自然条件の限定はとても厳しく成る。石灰が使用可能な資材であるとしても、土壌の酸性度を調整すると言う事も、総合的に考えると安易に出来ないことに成る。化学肥料や農薬と言うものは、自然条件の限定を広げる役割をしている。つまり、農業の平等を広げている側面はある。今年はタマネギに最善を尽くして、その上で、さらに自然の枠を有機農業が越えられるかを考えて見たい。田んぼと水の条件の問題など、さらに自然環境に密接なことに成る。山が豊かで、そこに降り注いだ雨が、田んぼを潤すような条件であれば、当然田んぼは良く成る。日照で言えば、谷間の部落でも夏の作物は影響が少ない。しかし、冬のものはかなりの影響が出る。

視野を広げて農業分野全体の展望で考えれば、より安い労働力と、適合する環境や気候条件とがそろう地域が、自然農法的農業に、有利地域である。当然そこに資本が投下され、新プランテーション農業がおこなわれる可能性が高い。中国のタマネギは、日本ほど消毒せずできると言う話もある。日本の農業条件では小規模で、機械化が難しく、企業的な合理性がない。同じ資本を投下し、どこにでも輸出しようとする資本であれば、不利条件地域で農業の展開をする訳がない。その為に、日本で可能な農業は、小回りのきく、隙間産業のようなものになる。その特殊解を一般化は出来ない。久野ではキウイが適合しているそうだ。しかし、その久野でも自然農法が出来るような地域と、慣行農法で消毒をするなら可能な地域と、さらに言えば不適合な場所も無いとは言えない。つまり日本の気象条件は実に多様だと言う事に成る。久野でも標高の150メートルから、300メートル位の地域と、それより低い地域では、農業的条件はかなり異なるだろう。

日本全体の農業を考えて見ても、小さく小回りのきく農業を目指した方がいい。日本ぐらいの農地の条件で、世界の農産物に対抗できるようなものを生産するには、大規模化して有利性が出るのは、せいぜい北海道ぐらいだろう。これから農地はさらに放棄される。放棄されるということは、これから農業をやろうと言う人には、自由度が広がっているという事に成る。今私が18歳であれば、小田原の久野で思い切った農業を目指してみる。としてみると、今の私の役割は、若い人が自分の展望を自由に展開することの邪魔をしないということだろう。農業の6次産業化などと言われるが、これは従来の農業には可能性が無いと言いきっていると考えた方が良い。若い人たちは色々考え、大いに失敗をするだろう。それでも誰かが道を切り開き、農業は続くと思う。それくらい農業は面白い仕事だからだ。

昨日の自給作業:タマネギの苗植えつけ、ニンジン、大麦、ホウレンソウ、種まき 2時間 累計時間:5時間

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