原子力規制庁の3度目の訂正

   

原子力規制庁では、まださしたる仕事をしていない内から、3度目の訂正である。信頼がなければできない規制業務において、大きく信頼を損なうことである。2つの原発の風上と風下を取り違えたという単純なことである。原因は電力会社の資料に頼っているとしている。責任を転嫁されたような形の、九州電力もいい迷惑である。電力会社の言い分をチェックするのが仕事である。電力会社に資料の取り違いを指摘されたのが前回の訂正。こんな杜撰な体制で本当の規制が出来るのか心配である。野田総理が無理やり見切り発車した。田中委員長の就任あいさつによる、仕事によって信頼を得るとの大見えは、地に落ちた。現在肝心な、稼働中の大飯原発直下の活断層の存在を議論している最中である。意見は分かれた。これは従来もそうだったのだから、継続問題である。今までは、活断層の可能性があるという意見は、無視されてきた。英知を集め、徹底的な調査をすべきである。思い込みで安易な判断をするというのでは、信頼はいよいよ失われる。

今回の判断でも電力会社の出した資料を鵜呑みにするというのではなく、自らの調査に基づく判断をしなければならない。その為には、さらに大きな大飯原発地層調査チームを結成して、独自のボウリング調査ぐらい行う必要があるだろう。風向き一つ、自己判断できない組織では、地層の調査など到底無理である。原発の安全性の信頼の確保の為に作られた組織のはずだ。安全を信仰する者は、なにはともあれ、安全と安心と根拠無く述べ立てる。こうした安全の声に押されて、神話が作られる。ここでの安全性の意味は、実は原発再稼働しなければ、日本の経済が立ち行かない。という切迫した気持ちである。経済が駄目になれば、日本がダメになるという思い込みである。電気がなければ人の命にかかわるとまで総理大臣が発言した。日本は経済競争に遅れたからと言って、心配はいらない。充分素晴らしい国としてやって行ける。経済が駄目になる恐怖は、企業の問題である。

何故、規制庁が間違うのか。政府にせかされて慌てている。政府の急がせる要因は政治である。学問は時間に追われては良い結果は出せない。まだろっこしいほどの確認の時間が必要なのだ。その学問的なレベルでの安全性の確認と、経済性の要請に不具合がある。規制庁が学問的組織で無いとするなら、必要な学問的調査は外部人材も入れた検討チームで、時間をかける他ない。その間原発を停止して待てばいい。大飯原発の緊急稼働の必要性は現在無い。規制委員会の専門家調査団の中で、渡辺満久東洋大教授は「活断層があることは確実だ。すぐに運転を停止すべきだ」原子力委員会の元委員で立命館大学の岡田篤正教授は「局所だけみて結論を先走るのは危険。地滑りの可能性 もある」と反論し、意見は割れた。団長役の島崎邦彦委員長代理は「地滑りの可能性があり、専門家や事業者の意見を聴いた方がいい」

こんな状態が大飯原発の現状である。にもかかわらず、政府はたぶん安全であるとして運転を続けている。これこそ安全神話ではないだろうか。渡辺教授は活断層と言い切るのは、危険であると発言した。危険なのは、判断が下されないまま運転を続けている現実のことだろう。まず止める。そして安全が確認されたら運転を再開する。こうした当たり前の規制をするのが、規制委員会である。明日に地震が来る訳が無い。まずは来ない。こう考えてきたのが、安全神話である。安全が確認されるまで運転をさせないというのが、規制員会の役割のはずだ。その位徹底したものをここで示す事が、今後の規制への信頼を作ることに成る。福島の事故の教訓が生かされたとはまだ言えないだろう。今後取り組むっべきは、使用済み核燃料の原発建屋での保管の禁止である。これがリスクを高めていることは明らかである。そう言う事が出来ないなら、つまり使用済み核燃料の処理が出来ないなら、原発は稼働できない。

昨日の自給作業:タマネギ苗の植え付け1時間 累計時間:3時間

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