自給技術の伝承

   

自給の技術をどうやって伝えるかである。以前、自然養鶏の本をまとめさせてもらった。自然養鶏の技術を書いておく必要を強く感じたからだ。鶏が草を食べるとどうなるか。こういうこと一つでも、きちっと書かれたものが無い。それはやってみたものが書いておくしかない。近代養鶏では草を食べさせない方がいいという事で終わっているからである。技術が大量生産法に変わって行く。そして、江戸時代確立された自給型の循環技術が、遅れた古臭いものとして消えてゆくことを痛感した。戦前鶏にどんな餌をやっていたのか。これが分からない。そう考えてみると、稲作技術も実は同じ運命であることに気付いた。稲作は研究者がたくさんいるし、国には研究所もある。しかし、江戸時代の技術は、有機農業で部分的には残っているが、ほぼ消え去ろうとしている。各地域の苗床の作り方など、ビニールの無い時代どうやったかどれだけ残っているだろう。

今ハザ掛けをしている。この方法も様々で、内山では田んぼに並べていたそうだ。お米の乾燥法など、どうでもいいと言えばいえる。しかし、ハザ掛けをとおして見つけてきた技術は、ないがしろには出来ない。稲刈りはどのタイミングで行えばいいか。どうすれば風に強いか。イノシシの届かない高さはどのくらいか。竿竹はどういうものをいつきればいいか。自給の技術の深い所に繋がって行く。つまり、どのことも自然に対応して、作物の様子で、その年ごとに判断が違う。日々、状況変化で判断を変えて行く。稲の様子によってはハザ掛けをしない方が良い場合すらある。脱穀してから干したこともあるし、干さずにそのまま脱穀したこともある。自給技術には基本はあることはあるが、常に応用と言う感じだろう。応用と言うことは、その時の状況を感じる力を養わなければならないという事になる。

それには、本に書いただけでは到底無理がある。多分2,3年一緒に暮らしてやってもらうしかない。多くの有機農場ではそういう研修制度がある。しかし、それはそれで視野が狭く成る問題点がある。私の考えは、無数ある中の一つと言うこと。雲水修行をしなければならない。師を求めて渡り歩く必要がある。一人の師ではだめだ。洗脳されて終わる。自分の中にものの見方を育てるのであって、師匠のものの見方を覚えると言うのは駄目だ。自分が失敗を重ねながら、自然に圧倒されながら、自然に織り込まれる手法を見つけると言う事だ。自然への対し方を、自然の感じ方を、自分なりに育てなければならない。それは実際に自然に対してみて、失敗を繰り返しながら、対応力を広げて行くと言うことだろう。技術を学ぶのではなく、その技術を作り出した考え方の方を学ぶという事に成る。ここに書いてあることは、笹村と言う人間の自給技術である。他の方には直接参考にはならない。しかし、こうやって成立させている人間もいる。この事は参考に成ると思う。

その為には、ブログと言うものはとてもいいと思う。自給をやってみようと思い立ちながらも、どうもうまく行かないと言う人に、これを根気よく読んでもらえば、私の感じ方、見方は伝わると思う。多分そんな人はめったに居る訳はないが、何十年が経ち、自給を本気でやってみようと思い立つ人がいれば、その人には必ず役に立つと思う。迷惑な内容も多いだろうが、実際に役に立つこととはそういうものだ。小麦の種は11月11日に蒔く。こういう情報は農業では殆ど意味が無い。こういう事だけが、情報だとすると大間違いである。小麦はいつでも蒔けると言う方が、相当に良い情報である。実際年明けに蒔いて、充分に出来た。それもあくまで久野あたりのやりやすい、おおよそのことだ。それより、その年の蒔く畑の状態とか、天候の読みとか、自分の都合とか、植物の生理以外のことも総合的に考えた方が良い。

昨日の自給作業:籾すり3時間、脱穀の片づけ、鶏糞の輸送など3時間 累計時間:36時間

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