冷凍みかんに対する決議
「農産物の学校給食使用に関する決議」が小田原市議会において行われた。当然の決議であり、小田原議会の対応に感謝する。2名の議員が反対で、他の議員は賛成であった。横浜市では学校給食に置いて、冷凍みかん55検体(2680個)のうち46検体から1キログラム当たり3・2~8・8ベクレルの放射性セシウムが検出された。その為に、学校給食では使わない決定を横浜市教育委員会が独断で行った。横浜市長は関知していないと言われていた。この事は発表がされた時もおかしい事だと書いた。放射能に対する、法を越えた横浜市当局の一方的な反応に対し、抗議すべきと考えていた。2名の市会議員だけが、この決議に反対をした。佐々木議員と植田議員である。横浜市の対応を是としているのだろう。ただ、この決議が横浜市からの回答を求めていない点で、少し目的を曖昧にしている内容だと思う。
横浜市の対応は小田原のみかん農家に対して、屈辱的な対応である。私もみかんを作っている。セシュームがある以上、子供には食べさせるべきでないというのであれば、横浜市は学校給食に対し法に基づいた条例を作ればいい。冷凍みかんだけを狙い撃ちするのはおかしい。すでに放射能に対して、まともとは言えない反応が一部に定着している。そして、「子供たちの命を放射能から守る」という建前論で、数値のことなど無視した形で、抗議を繰り返している。確かに放射能、特に内部被ばくについて、学問的なデーターが少ない。その結果、限りなく0に近くすべきだといういい方が、「正義」のように主張されている。キロ当たり10ベクレル以下というのは、政府の安全だとする100ベクレルの10分の一で以下であるということだ。どこかで線を引かない限り、社会が成り立たない。この問答無用の極端な反応の仕方が蔓延することに、社会的に厭なものを感じる。
常に食品には、有害物質が含まれている。放射能だけではない、様々な重金属、ホルモンかく乱物質、微生物、土壌にあるものは、多かれ少なかれ作物に移行する。人間はそうしたものを食べて、生き延びてきた。そうしたものはすべて、放射能と同様に敷居値がなく、リスクはあるのだ。生き物が生きるということは、毒も食らわば的に、総合的なものだ。放射能だけの問題ではない、人間の生き方そのもの問題である。もし10ベクレル以下の放射能でもリスクがあるというなら、すべての有害物質に対して、同様の過敏さで対応しているのだろうか。常日頃そうしてきた人、少なくとも今後そうして生きていくのだというのであれば、無菌室の様な隔離された中で、特別の食べ物だけを食べて生きてゆく以外にない。これでは普通の社会が成り立たない状況である。こうした特殊な反応に、教育委員会が従うという所に、気味の悪い正義意識を感じる。
佐々木議員は以前、農の会で田んぼをやったことがあった。地域の農業をどう維持して行くかにつて、考えがあるのかと思っていた。今回の反対にはがっかりした。さっそく佐々木議員のブログを見てみたが、なにも書かれていない。少なくとも、どういう理由で反対したのかをブログで表明すべきであろう。小さな子供を持つお母さんが、不安を増幅させての反対している状態と、市会議員の反対では意味が違う。この事を突き詰めれば、小田原の農業を止めろという事につながる。止めろというなら、小田原の農業者はどうしろということになるのか。農地の維持のための努力をどう考えればいいのか。地域というものは総合的に成立している。この土地を離れず、放射能の風評被害にあえぎながら、頑張っている農家の思いをどう考えているのだろう。法律で良しとされている10分の1以下でも給食に使うべきでないとする横浜市の今回の対応に、抗議するのは、当たり前のことだと思う。横浜市は、何故なのか理由を、小田原市議会に回答すべきであろう。