久野川の河岸の崩壊

   


修復後の写真

欠ノ上公民館の下の久野川が昨夜の台風で崩れた。田んぼが1枚出来なくなった。以前から石垣の石が抜けて、少し孕んでいた。このままでは危険だと考えて、小田原土木や小田原市の方には、改修をお願いしていた。何も対応はしてもらえなかったが、こちらもなんとなく、田植えまでやってしまった。これがいけなかった。安全神話である。もし、人がいた時なら、流されてしまっただろう。急いで県土木と、小田原市に朝6時を待って報告はした。見に来てくれるという事だが、見てもらったところで状況は変わらない。以前から、田んぼの水路を直し直しやってきたのだが、ある意味棚田の維持がいよいよ難しくなっていることを感じる。山の管理から、河川の管理まで、全体が手ぬかりになってきているのを感じる。農業者や林業者の減少が日々のちょっとした手入れ管理が困難になっている。

小田原では昨夜10時久野4700世帯に避難勧告が出た。これはテレビで気付いた。つまり、防災放送がなかった。水防団待機水位は、夕方7時に超え、10時には一気に2メートル14という氾濫水位にまでなった。どうも消防団にも召集が徹底していなかったようだ。しかし、避難勧告が出たとしても、何か出来る状況ではなかった。3キロほど離れた、避難場所になっている久野小学校まで、歩いて行くことが困難である。家にいるのが危ないと言われても、川沿いに久野小学校まで降りて行くこと自体が、かなり危険な行為である。今回はこれがまだ避難勧告の段階だから良かった。これが避難指示になった場合、最悪のことになる。自動車で避難する人がいたなら、渋滞してしまい動けなくなるだけだろう。歩いている人との混乱で、避難が大変なことになる。多分避難指示があっても、大多数の人は動かない、動けないだろう。近所の人に聞くと、大抵の人がそう答える。これでは、災害時の対応が準備されていないということになる。行政の対応策がない以上。自分のことは自分で考えておくしかない。

いつも書いていることだが、諏訪野原のフラワーセンターや、環境事業センター、諏訪の原公園あたりに避難する他ない。こちらは500メートル程度の距離だし、安全な場所だ。避難場所の指定は無理だと言われようが、無理やり入れてもらうしかない。「まさか、自分の命にかかわるような災害がある訳がない。」こういう心理が働いている。何の根拠もない。又その時の覚悟がある訳でもない。ただ、そう思って暮らしているから、能天気に落ち着いていられるのだろう。良く考えれば、色々の状況が変わってきている。昨日の雨でも、150ミリ程度である。最大雨量が時間43ミリである。この程度でこんなことが起こるのだから、気候が荒くなってきている上に、山の管理も悪くなっているのだろう。今回ももし、和留沢に気象観測のデーターがあれば、判断が違う。土砂災害指定地域の指定でけ先行し、肝心の対策の方はなにも行われない。

早急に、避難体制を作るべきだが、何からやえばいいのか。結局自分の事をまず考えるしかないということだ。しかし、同じ組内の家族構成も知らない、また、緊急時の連絡先も知らない。そう言う事を、どう進めていいのかもわからない。私自身にそのことを進める時間的余裕もない。良くないと思いながらも、結局自分のことだけになる。地域が昔のような地域として成立をしていない。しかし、新しい形の地域の形もまだ見えてこない。苦しい所である。

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