ピュリツァー賞、受賞のブログ
アメリカで報道における最高賞ピュリツァー賞受賞がブログメディア「ハフィントン・ポスト」に与えられた。アメリカの報道の良心の賞であることは、歴代の受賞対象を見ればわかる。それが、何とブログ連載企画「戦場を越えて」に与えられたのである。ブログの時代が来ていることが、改めて分かる。このブログメディアには、多数の寄稿者が居て、何と大統領になる前のオバマ氏もそうだったという位の権威である。ブログと言っても何と、正社員が400名いるというから、報道機関がインターネットを利用していると考えた方がいい。月のアクセス数が5400万と書かれている。広告収入で運営されているらしい。最初のページの広告は1日10万から20万ドルと書かれていた。ブログの寄稿者には報酬はない。9000人以上のブロガーがハフポストに投稿している。この仕組みは次の時代の報道機関がどのようなものになるかを示している。
インターネットでは情報の発信に費用が要らないという点が優れている。自分の意見を発信したければ、どこの誰でも可能である。私のような知識も能力もごく普通の人間でもできる。そしてその意見が有用であれば、広がリ伝わって行く。情報というものを隠したり、独占したりできないという時代。情報に価値があるのでなく、情報の利用の仕方に意味が出てくる時代。稲作に関する新しい抑草法など、大多数の人にどうでもいい話である。しかし、ほんの少数の人にはとても重要な情報である。この経験の交換は研究所の実証実験以上に、大規模で大きく影響して行く。個人の経験的なことが、客観的な多数の視点から試され、改善され、発展する。これは人類にとって新しい時代である。記録を残し、伝えてゆくことが出来る。その記録に意味があれば、後の人に役立つものもあるかもしれない。私としては、自給農業の手法はそう言うものだと考えている。そしてそれは人間が、自立して生きることが出来るという事を証明している。つもりである。
10年足らずで、アメリカ最大の報道機関の一つが生まれたという驚き。一方日本のネット報道は何故、成長できないのか。分かる範囲で、一通りを探してみるが、大したものはない。既成報道機関にまさる、ニュース源は育っていない。あるとしたら、論表、批評である。情報が少ない。たまたま独自情報のものもあり、私も参加し投稿したが、記事が採用されることはなかった。私が広く情報を発信したかったのは、鳥インフルエンザの問題である。政府のとんでもないウイルス対策の手法が日本の養鶏業をダメにしている実態を知って欲しかった。鳥インフルエンザの世界的動向は、政府の予想とは異なり、むしろ私の当時の推測のように経過している。そしてこの間、小さな養鶏農家を追い詰め、何分の一かに減少させた。それは元凶足る大規模養鶏の問題を温存し、さらに悪い時代が予測されるということになる。
日本には信頼に足る報道というものがない。どちらかと言えば、鳥に触るなというような、非科学的な恐怖を煽る報道ばかりである。今さら期待もしていない。それで個人で細々続けることにした。それではなぜ、アメリカではと思うが、それがアメリカという国の可能性なのかもしれない。進取の精神というか、権威にしがみつかない所。日本では批判勢力がすぐ権威化する。普段批判勢力の仮面をかぶった報道が、原発事故報道では、住民の側に立たなかった。批判勢力的仮面をかぶることで安心をする。報道は批判精神を持ち、本当の議論を起こす必要がある。アメリカでは10年間で職業ジャーナリストの3分の1以上が解雇されている。過去3年間では1万1000人に上るそうだ。こうした新陳代謝こそ生きている証拠でもある。日本人が権威に弱い。保守的と言えばいいのか。そこに付け込む既存組織。それを打ち破らない限り、次の世界に出られない。
昨日の自給作業:トウモロコシ、トマト苗の植え付け。2時間 累計時間:22時間