議事録というもの
公務における議事録は義務的なことである。人間の記憶などいくらでもごまかしがきく。このブログは私自身の議事録のような役割もしている。「原子力災害対策本部」が議事録を作っていないと言う話だ。明らかに嘘だ。そんなはずがない。それで官僚の誰かが処分されとも聞かないから、これは政治家が官僚に破棄させた可能性が高い。この事は枝野基官房長官の責任である。枝野氏は議事録は法に基づきあると発言していたのだ。それが今になってないなど、どう考えてもおかしい。議事録を公表すれば、パニックを回避するという政府の棄民方針により、福島の住民を切り捨てるものであった事実が、表面化するはずだ。緊急事態だからこそ議事録が必要だった。当時も報道では記録を取る必要性を言っていた。官僚はこういうことはしっかりしていると思っていたが、しっかりし過ぎているのか、それもすでに劣化していたのか。今から議事録を作る辛い方にならないと主張するが、無意味である。せめて当時のメモを集めておく。判断は政府以外の人に任せた方がいい。
めだか田んぼの事で、沖津昭治さんと2人で小田原土木へ確認に行った。めだか田んぼを行うにあたって、どういう約束があったかである。あしがら農の会がめだか田んぼを引き受けたのは、めだか協議会の中での決定である。めだかの第2の生息地を守る為には、鬼柳境の田んぼをやらなくてはならない。2年をめどに管理組織を作るから、それまでの間農の会で田んぼの面倒を見て欲しいという事であった。それから3年がたったが、肝心の田んぼの整備は約束通り行わない。もう諦めて、費用は自分で出して直すことにした。工事を沖津さんにお願いし、地域の了解を市役所に頼んだ。それでは筋が通らない。県土木に確認に一緒に行こうとなった。その結果が出てきたものが当時の議事録だ。職員は移動で今はいないが、わたしの記憶通りの事がメダカ協議会の議事録に書かれていた。
めだか田んぼはめだかの為である。田んぼに整備するとの小田原土木との約束はあったが、我慢出来るところは我慢してきた。お願いするような筋ではない。田んぼの耕作をお願いされた立場に過ぎない。地代だけ払い、不十分な田んぼで耕作しなければならないのか、怒りはある。耕作を辞めればすべてが終わりである。地主さんやめだかの事を思うと、苦しいものがあった。中村さんを中心に3年は整備のされない田んぼを曲がりなりにもやってきた。今年こそ、体制を整えて耕作をする。もう一度小田原市の環境保護課と今後の事を話し合いたい。2年で出来るはずの保全組織がどうなったかである。これが何時までも出来ないなら、田んぼを借りている農の会の立場はどうなるのか、明確にする必要がある。
以前、市議会の議事録が改変されたとしか思えない事があった。めだか生息地の環境維持についてだ。副市長が答弁で、「桑原地域のメダカ生息地の環境アセスは行わないが、市民メダカ会議の会議結果を尊重する。」とした部分が削除されたと思われる。これは記憶なので追及できなかったが、議事録が作成された時にはこの部分がなかった。録音があるなら照らし合わせて見れるのだが。後に気付いた時には、証明する手立てを失っていた。政府の会議は録音がないのだろうか。今回の原発事故のような、国家の緊急時に置いて、どのように政府が対応したのかは、後に検証が必要なことである。公開の問題はまた別である。こうした会議は可視化する必要があるのではないだろうか。それが民主主義の基本のはずである。外交案件等、記録できない部分が必要であるのなら、その理由を明確にして、非公開部分を作ればいい。