「エネルギーの自給自足を考えよう」3

   

自然エネルギーの普及において、経済性から入ることは当然のように見える。現在も原子力と比較して高いとか安いとか、その論議が中心である。しかし、ここは気おつけなくてはならない。資本主義経済性が、競争の原理の上に成り立っている以上。地域自給主義と矛盾が生じる点で、要注意である。それは日本が農業分野で、苦い体験してきたことである。国際競争力のある農業の発言は、グローバル資本の地域経済の破壊目的のプロパガンダである。自然に深く依存した産業に置いては、前提条件として競争に強い地域と、弱い地域が存在する。石油が偏在するように、自然エネルギーも偏在している。その為に、世界標準より低価格であるか。高価格になるかは、産業分野で考えれば当然の観点になるとしても、地域で生活をするという観点から見れば別だ。自給自足には価格は存在しない。エネルギーも水と同じで、価格から出発していては、地域での検討には良い結論が得られない。

地域内での合理性こそ、自然エネルギーを選択する観点となるだろう。薪が高く付くものでも、ぶりまでつながっていると考えなければならない。しかし、経済の世界には壁がない。自然エネルギーに置いても当然、地域間の競争が起こるだろう。国家間の対立も生まれるだろう。その意味でエネルギーの自給自足には、個人の自給のように価格に左右されない部分と、他地域の影響がある部分との、社会的バランスを意識して見る必要がある。自給的農業が産業としての農業を阻害するという意見は、実は間違っている。見方を変えれば、個人の自給の長所をどのように地域自給の経済に生かしてゆくのかになる。具体的に考えてみた時、各個人の住宅にソーラーパネルを取り付ける。あるいは小風力発電を付けると言うことには、経済だけでない、自立の思想が背景に必要である。それは、暮らしの安心感であり、個々人の自立の確認である。一人の暮らしを自立させる意識が、自由な精神の基盤となる。

一人がエネルギーを自給するという思想が必要である。その次に、初めて地域での自由な関係として、自然エネルギーは成立するのではないか。つまり、地域がどのように再生されるかが見えない限り、「むら」の再生が出来ない。自然エネルギーの地域自給には、「むら」の再生が不可欠である。「むら」の成立の大前提が、個人の自立ではないか。もし地域と言う「むら」的再生がないまま、地域エネルギーを取り入れることになると、経済の競争だけになる。単純にビジネスの問題になる。これが、原子力村に至る道である危険を十分に認識する必要がある。何のための地域エネルギーかと言えば、人間のよりよい暮らしの為である。この原点を必ず忘れず、エネルギー自給も考える必要がある。人間のよりよい暮らしは、一人ひとりが自立した上で、良い関係が結べる地域社会が存在することである。

良い地域社会がどのようなものかなどと言うことは、一見自然エネルギーと関係がないように見えるが、実は、地域で小水力発電を行う。共有林の利用法など、具体案になれば大きなウエートを占めて来るはずである。自然エネルギーの経済の原理は、競争の原理とは違う。地域での成立要件によっては、他地域よりも価格は高くなったとしても、そのエネルギーを使うべき場合もある。地域内での経済的合理性が優先されることになる。まず、地域内の自然エネルギーの基礎的資料を充分に集める。その上で、偏ることなく複合的に成立要件を調査しなければならないだろう。調査して可能性の高いものを、提案することが、本当の意味での第1歩である。そうしたことを行う、小田原自然エネルギー調査所の設置。基本データ―の蓄積。一方で、目玉としての金次郎計画で動き出す。

昨日の自給作業:草刈り2時間 累計時間:5時間

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