稲藁汚染にみる能力低下

   

牛肉汚染の原因になった稲藁の問題が深刻化した。政府と行政がほとんど機能していないことがよく分かる。この程度の事でも、政府担当者から想定外発言が出ている。この国のあらゆる分野が、こうした機能低下が起きている。それは、日本人が稲作農業から離れたことに起因している。驚くほど目が届かない人間が増えている。想定外人間には田んぼはとてもやれない。自然と言うものは、常に予測を裏切る。予測を裏切られた時の対応力こそ、本来の力量である。何も変わらない予測通りの毎日であるのは、工場の中だけだ。田んぼは何故だろうばかりの世界である。それを想定の範囲に入れようと、化学肥料や農薬は出来た。その安直さが優先され、ウンカが出ようが出まいが、時期が来れば集団防除を行うような習慣まで出来た。

田んぼをやるには、観察力が必要である。その前提として、情報が必要。田んぼの深さを計る用具。水温を計る温度計。一日3回ぐらいは田んぼを見ていないと、状況判断は出来ない。そして田んぼの中に実際に入らないと分からない。土の様子である。中を歩いてガスの匂い。土の匂い。虫の状態。葉の色、硬さ。情報の収集が必要である。どれだけの水を入れると、どれだけの水が出て行くか。それも一様でなく、水の深さでどういう違いが起こるか。できる限りの情報を集めることが始まりである。泥んこになって情報収集して、感性を全開して感じて、考えて、やってみて、やり直す。この面白さが田んぼである。千変万化の水と言うものがどんなものなのかということが、そして、土と言うものが水とどのようにかかわるのか。少しづつ見え始める。見え始めるが、又翌年は違う状況に成る。その違う状況を今までの経験から、想像し次の展開を予測し、行動する。

日本人の細やかな観察力と言うものは、田んぼの作業を百世代繰り返して、生まれたに違いない。田んぼから離れた日本人は大切なものを失った。次に放射能汚染は何をもたらすのか。この想像力である。この想像力の為に多くの原子力学者は存在するはずだ。住民に嘘の安全教育をするために居た訳ではない。次に起こりうることを想像して、先手を打って予防して欲しい。事が起きてから、生草だ、牛乳だ、水道だ、お茶だ、ホウレンソウだ、稲藁だ、堆肥だ。すべてことが起きてから、手が打てない状態に成ってからの騒ぎだしてもおそい。基礎に成る放射能汚染状況の把握が出来ていない。できる限りしないで済まそうとする。昨日に成って、小田原市長から市長への手紙の返事があった。私の指摘した時に、ごみ焼却場の六項目の測定をすぐしていれば、どれだけ立派な市長になったのか。ああ残念だ。政府の指示だけこなす無難なら、誰にでもできる。

重要なことは次に起こるかもしれないことだ。水の汚染である。海に流れ出て確かに薄まったのだろう。薄まってどうなったのかが気掛かりでならない。浄水場や下水処理場の汚泥の放射能汚染も深刻である。焼却場の灰も深刻だ。放射能瓦礫の処理も膨大である。結局は、海に流れ出る。海の砂も泥も汚染されているだろう。貝などは濃縮しているだろう。コウナゴを食べた魚がどうなっているのか。次の事件を起こす前に、情報収集である。調査をして問題が分かったら大変なので、調査をしないが行政の基本的態度である。事なかれ主義。自分で想像してやるしかない。汚泥が堆肥になっている。ここでさらに濃縮される。焼却灰がコンクリートに成る。汚染された材木が建築材に成る。家そのものが危なくなれば、暮らせない。基準値が8000ベクレムであるということは、それ以下の7000廃棄物は、普通に利用されることに成る。もう政府が駄目なのはわかっているのだから、自己防衛である。

 - Peace Cafe