舟原の納涼会

   

毎年、8月の最初の土曜日の夜、舟原では納涼会が開かれる。人数は延べ100人位の参加だっただろうか。昨年までは盆踊りが行われたが、今年からは盆踊りは亡くなった。そう言うこともあってか、若い人が中心の納涼会になっていた。以前、公民館長をやった時に盆踊りと呼んで、訂正されたことがあった。なるほどこういう可能性も見ていたのかと思った。盆踊りが無くなるということで、納涼会の意味も雰囲気も変わってくる。ご先祖の参加が無くなったのだろう。子供たちの遊びが工夫された充実した年もあった。スイカ割りは恒例であった。恒例で残っているのは、焼きそば等の出店と花火だろうか。花火も少しさびしい気がした。しかし、祭囃子の人達が来てくれて、「かまくら:ばかばやし」という、レベルの高い演奏を披露してくれた。こうして自治会の催しは、少しづつ規模内容が変わって行くのかもしれない。自治会と言う単位の活動が衰退するのは、暮らしが変わる中でやむえないことだと思う。

舟原でも農業を3反の上やられている農家数は30軒ぐらいではないだろうか。みかん、お茶、稲作、そして自給や朝市向きの野菜。朝ドレファーミーでお会いした舟原の方は、小さい農家には直売場が具合が良いということも言われていた。自治会とは別に生産者組合があるのだが、2年目の運営委員に成っている。TPP反対の署名とか。お茶の放射能補償とか。あとは、JA店舗の販売品の取りまとめのようなことが、役割のようだ。舟原の生産組合で集まるとか、代表がいるとか、そう言う組織ではないようだ。ある意味で、上部組織のJAの運営がしっかりしている。銀行業務や保険業務や不動産業務が充実していて、その人員が農業分野の仕事もやってくれているという、運営会議の印象である。それでも、舟原の農業も私が移り住んでからの10年、耕作放棄地が増えたということはない。私が8反やリ始めたという分くらいは、むしろ農地は少し回復したのではないか。

農業が共通の要素で無くなった時の地域の成り立ち。新しい住民は私を含めてここ10年で20軒くらいは増えただろう。新住民はどちらかと言えば、地域での面倒くさいことは避けたい、という人が多そうに見えるが。そうした中、びっくりしたのは市会議員や県会議員、そして衆議院や市長選挙の候補者の挨拶があったことだ。今までこういうことはなかった。政治的なことがこういう形で、自治会の催しを侵食するのは、上手くないのではないか。地域には様々な思想、宗教、主義、考え方がある。自治会では、選挙は避けた方が良いと思う。そうでないと自治会への参加者はさらに限定される。自治会に、規約がないということがある。口で言わないでもすべてが了解された時代の方が、却って合意がされていたのだろう。改めて文章化しなければいけないということは、地域らしさが失われているともいえる。しかしこうなると、難しい場面だと思わざる得ない。

選挙が近付いている。市長選挙は準備段階に入ったようだ。全く個人的感触であるが、市役所の上層部は反加藤市長で固まってきている。市長が変わる前提での対応をあちこちで感じる。確かに加藤市長は、問題がある。どっちを向いてもきれいごとで済ませる。玉虫色である。支持者の中にも歯が行く感じている人が出てきている。小田原評定的である。問題は一番のテーマであった市民協働の進捗状況であろう。正直まだ建前が掲げられただけで、成果が出ているとまでは言えない。これは市長と言うより、市民の努力範囲である。行政上層部は、実質非協力である、これが市民協働の大きな壁となっている。協働したくとも、行政側がやんわり逃げている所がある。それを突破するのが本当の意味の市民力ではないか。選挙が近づき、行政幹部は政権交代を用心している。今度再選されれば諦めて協力を始めのではないか。加藤市長に疑問は大きいとしても、市民活動を行うものとしては、ここではしごが外される訳にはゆかない。

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