原発放射能汚染補償
所属し、現在運営委員でもあるJA西湘でも、お茶に対する補償の説明があった。全農から係りの方が見えて、補償金の仮払いに対する申請の方法が説明された。3人の弁護士が選任されていた。当然弁護士の方も同席していると思ったが、見えていなかった。弁護士に白紙委任状を出して下さい。と言うことである。これから補償に関する和解交渉を、東電政府と行う訳だから、どんな条件が基本に成るのかが気に成るところである。しかし、良く分からなかったというのが正直なところである。分からないまま委任は出来ないので、委任状は出していない。農の会関連では、久野地域でおおよそ4反のお茶畑を耕作している。このお茶畑が汚染された。荒茶でいえば、キロ当たり3200ベクレルだそうだ。当然土壌も汚染されている。農の会の農業が、土づくりを耕作の基本として、無農薬、有機たい肥の施肥を行ってきた。14年の努力の結果が今のお茶畑である。
思いは「元のお茶畑に戻してくれ。」と言うことである。良い畑の土にするということに、全精力を注いできた。収量が少ない事もあった。病気が出たこともあった。しかし、すべてを将来土壌が良くなれば、解決すると考え努力を重ねた。そして、10年目を越えたあたりから、明らかに他のお茶畑とは違う様相になった。一言に言えば、周辺の山の環境に溶け込んでしまい、遅霜の回避、病虫害を受けにくいこと、茶葉の再生力が増してきた点、堆肥の投入も減少した。5月の新茶の時期には、1,5反ほどの農の会の畑では、4~500キロ近い生葉の収穫が出来るまでになった。少し良くなってきた。いままでの土づくりの努力は報われてきた。将来さらに土壌を良くして行きたい。お借りしている農地ではあるが、400年前からのご先祖の努力と、400年後の子孫を思い、楽しく耕作させていただいてきた。
そのすべてを無にするような、放射能汚染である。一時はすべてが空しくなった。今までの努力は何だったのか、愕然とした。しかし、良く考えてみれば、原発をなくす努力が足りなかった。原発の恩恵を受けて暮らして来た。危険であることは十分承知していたのだから、お茶畑の土づくりをやるなら、原発の廃絶に向けても同様な努力をしなくてはならなかった。それが放射能汚染を逃れる唯一の方法だった。個人の土づくりの努力など、一夜にして全くの無駄になった。もしこの被害への補償を考えるなら、この汚染をもたらした元凶である、原発の廃絶の約束である。その約束がもらえるなら、100年先を目指して、畑の土づくりをもう一度頑張れる。そのことをJAの説明の方に質問をした。全く、理解してもらえなかった。荒茶に500ベクレル出無くなれば、「現状回復」したことに成るというのである。
白紙委任できない人は、JAの枠の補償交渉には入れません。と言うことである。JAはどこでこういうことを決めたのであろうか。運営委員会でそう言うことが話し合われたことはない。多分、組織の成り立ちが違うのである。確かに、JAの補償交渉を早く妥結してもらい、一時金をもらわなくてはならない、農家の方も現実におられる。JAの組合員には、原発推進の思想の方もおられる訳だ。あるいは、できるだけ静かにほとぼりを待つことが、得策と考える人も多いに違いない。では、農の会はどうすればいいのだろう。地域の農家の方の迷惑にはなりたくない。しかし、このまま行けば、お茶農家が成り立たなくなるのではないかと言う、危惧もしている。お茶に対する放射能汚染のイメージが、若い世代から、お茶の消費を縮小する結果である。26日には、お茶の樹を思い切って強剪定する。そして畑の外に持ち出す。そして来年の一番茶がどれだけ回復するか。これにかけてみたい。