放射能汚染と今年の農作業
小田原市久野の茶葉がセシウムで放射能汚染してしまった。様々な説が出ているが、箱根の東斜面の一定の高さに濃度の濃い放射能雲が、流れてきた可能性が高いようだ。本来なら市行政、あるいは県行政は、周辺の農地の緊急測定をすべき状況である。しかし、今のところ測定を始めることはないようだ。この地域に暮らす住民は、行政としての対応を強く要求して行かなければならない。「神奈川県環境農政局農政部農業振興課 電話045-210-4420」状態が分からない限り、判断は出来ない。この地域にも、小学校や保育園がある。まずそうした所を測定し、汚染レベルを知る必要があるだろう。遅くなってしまったが、農の会では早急に測定機を購入して、計ろうということになった。田んぼの水路の復旧工事を行った。これも地震の被害と言えば言える。緩んでいた棚田の石積みが18メートルほど、崩れてしまった。それを穂田さんの指導のもと、修復した。欠ノ上の一番下の田んぼだ。一番上の田んぼでは、7反の苗が見事に生育している。
今年の農作業は本当に行っていいのだろうか。田んぼの土壌の汚染はないはずがない。子供に田植えをさせるようなことは、危険ではないか。土曜日に農の会の定例会でも、そのことを話し合った。話し合うと言っても汚染の度合いが分からない中、判断が出来ない。その上放射能と言うもののリスクは、あくまで統計的なリスクだ。統計的リスクをどう受け止めるかは、個人の考え方である。日本に住み続けることは不可能と考える人が居ても、当然のことだし。原発の30キロ圏内に、暮らし続けるという選択もある。それぞれの人が判断するべき要素が強い。農の会で話し合ったのだから、自給と言うことを中心に考える。汚染の可能性のある土壌で自給の作物を作っていいのかどうか。現状では汚染の状況が分からないのだから、不安だけが膨らんでゆくことに成る。
『地場・旬・自給』の理念が問い直される。エネルギーという側面からこの理念を考えてみると、地場は、フードマイレージが小さいと言うことだろう。旬は、暖房ハウス栽培のようにエネルギーを使う農業はしない。自給は、まず自分の食糧を自給することが、エネルギーを消費しない暮らしと言うことに成る。消費的でない暮らしを提案してきたのが農の会の理念である。原子力発電の要らない暮らしを、食糧生産の側面から提案してきたということに成る。今回の福島原発の事故は、日本人にこの国の方向を、問い直している。経済性だけで、国の方角を決めてきたことが、破たんへの道だったのではないか。日本人が、この事態に至ってもさらに原発を作ろうとする、拝金主義の思想を乗り越えられるかである。人間は100坪の土地で、食糧自給は出来る。1反の土地があれば、家族が暮らして行ける。儲かるからと言って、リスクの高いものに手を出すことは、すべての人間にある。
農の会の代表のMさんが、「農作物が販売できる出来ないにかかわらず、農地には作付をする。」こう言われた。この決意には深く動かされた。誰もの中に、不安のある農作物は販売すべきでないという、気持ちは充満している。しかし、食糧を生産するということは、命を支えるということだ。他に無ければ少々の汚染食糧でも食べざる得ないだろう。他にあるということが、どういうことだろう。小田原にないとすれば、関東東北の太平洋側は同じ状況であろう。これから長い時間放射能と付き合ってゆくことに成る。個人的な判断であるが、今ある材料として、お茶の新芽の汚染のレベルから判断するに、この土地で出来た作物を、食べて大丈夫だと判断している。自分の食べるものを、おすそ分けするのが私の販売する卵である。それを買うか、断るかはこれまた自主判断である。買わないという判断も立派なことだと思う。Mさんの発言ではないが、買う人がいる、居ないにかかわらず、自分の食糧は、今の情報の範囲であれば、作ろうと決めた。