メルトダウン(全炉心溶融)

   

やはり津波ではなかった。地震の揺れで原子炉本体が損傷していたのだ。この事実の前では、浜岡の緊急停止は当然のことである。2号機3号機のメルトダウンについても、徐々に明らかないしてきた。実はこうした事実は、公表された記録を見れば専門家の人には、すぐ分かることのようだ。この事故では、言われていた通り、当初から真実が公表されないまま来ていたということだ。今になれば、あの同心円状の10キロ圏とか、20キロ圏とかいう範囲が何の意味もないことが良く分かった。なんとなくは誰にでも分かっていたことではある。ここまで来ると、自分は当然のことと考えていたという人が続出する。事実を知っていて、その時何をしたのかということだろう。小田原の放射能汚染について言えば、私は何もしなかった。原発がどれほど危険かということを知っていながら、原発の廃止に対して、大したことは出来ないでいた。

今回の小田原の茶葉の放射能汚染について言えば、「正直、藪蛇だ。」という声が裏ではつぶやかれる。私の中にもないとは言えない。生産者の心理としては当然のことである。原発のメルトダウンをひた隠しにした心理と何も変わらない。今やるべきなことは、自分の生産物が、安全かどうかの確認である。これが現状では出来ない。農の会で放射能の測定機を購入しようということになった。「あやしいと考えるなら販売すべきでない。」当然の意見である。そうしたい。その方がどれほど気が楽であろうか。農の会の野菜生産者の中には、すでに販売を止めている人もいる。私が食糧を生産するのは自給である。自給と言う意味の延長として、余剰分を販売している。自分が何を食べるかである。あるものを食べるのであるが、汚染されていても、他に食べるものが無ければ食べるしかないのである。安全なものを買ってくればいいとは、考えていないのである。

この状況に至っても、原発を止めることが出来ないでいる。あと14基の原発が稼働している。又、予想されている大地震が起き、またメルトダウンすれば、「そうなることはわかっていた。」等と言っている訳にはいかなくなる。どのような道筋で、脱原発に向かうかの筋道を立てなくてはならない。今、具体的に何を行動する事が効果的なのか。この夏の2ヶ月だけでもいい。野外の清涼飲料水の自動販売機を止めさせようではないか。ずーと止めろとは言わない。夏の電力ピーク時に、野外の太陽にさらされた場所に冷蔵庫が置かれていて、「電力を節約しろ。」はないだろう。そう言うことを、テレビは言えない。マスメディアは言えない。政府も言えない。ある程度自覚があるのに発言が出来ないでいる。明瞭に発言したのは、あの石原都知事だ。こんな社会状況が原発のメルトダウンまで導いてしまった。そしてこの事態でも、炎天下の自動販売機すら、止めることが出来ない社会になってしまった。やれるだけのことをやろうと思う。

飯館村は30キロ圏外であるが、汚染状況が深刻であることが、日に日に明らかになってきた。住民が、パニックを起こさないためと言ういい訳のもと、切り捨てられた。農の会では、飯館村の状況を学びながら、農業者としてシンポジュームを行うことにした。小澤さんが来て下さることになった。すでに避難されている。6月18,19日あたりにしようと計画している。現状では互いに被害者として、この問題についてシンポジュームを行い、問題の位置を少しでも知りたいと考えている。出来れば、川内村に戻って農業を始めた人の考え方も伺いたい。今農業者として何をすべきか。食糧を生産するということはどういうことか。この大災害を踏まえて、どのように新しい村づくりを行うか。どの方向に日本が向かうべきか。それはただ、脱原発だけではない。むやみに消費する社会を、どうやって終わりにするかだろう。

 - Peace Cafe