東日本巨大地震

   

大津波による、東北太平洋岸の壊滅的被害が伝わってくる。岩手の達増拓也知事の発言「多くのものを失ったが、まだ多くのものが残っている。」心に迫るものがある。そうだ、残っている人間が、立て直し、再起できる。兄が宮古に住んでいたころ、絵を描きに行った。高い岬を越えると、小さな入り江に集落がある。大きなコンクリートの防波堤で覆われていて、薄暗いほどであった。何度も来た津波の為だということだった。神社の石段の高いところに、ここまで津波が来たという記録があった。それは考えられないほど高い場所だった。その過去の2万人もの犠牲者が出た体験も、全く超えた怖ろしい破壊が起きた。自然というものの理不尽さ。人間の弱さを痛感せざる得ない。再建には相当の長い期間の覚悟が必要である。

この機会に災害に対する、根本的な対応が必要であろう。住居については、木造家屋は津波に対しては対応できない。海岸から一定の地域を、防波堤を兼ねた、コンクリート建造物のみにする必要がある。東海沖地震に対しても同様の対応が必要であろう。関東での津波に対する防災は、全くないと言っても良い。現状では、地震が起きた時にすぐに逃げる心構えであろう。常日頃から逃げる場所の心構えと予行演習が必要である。また、行政の力量が緊急時とても重要になる。市役所が防災本部に成るのだろうから、耐震は他の施設とは別に、十二分なものにしておかなくてはならない。今回身にしみてわかったことは、情報管理である。疑心暗鬼からデマ情報が流れる。悪いニュースは忽ち広がる。東京でもお台場が炎上しているとか、潰れたビルがあるとか、ビルから窓ガラスが降ってきているとか。情報が乱れ飛んでいた。警察が情報を全く持っていなかったことには、愕然とした。もし新幹線が動いていることが分かっていれば、東京駅まで歩き、何事もなく小田原に戻れた。情報管理センターとインフラの整備。

緊急に行うべきは、原子力発電所の廃止である。経済とか、便利とか、そうしたものに流されてはならない。人類を滅ぼしかねない事故が付きものの施設に、いつまでもこだわってはならない。原子力発電所を、海外に輸出しようなどという怖ろしい計画は、早急に止めなければならない。目先の金儲けに人間性を失ってはならない。原発はどこまで行っても安全な施設ではない。もし爆撃を受けたらば、どうなるのか考えたらすぐにわかる。世界は不安定化している。いついかなるテロがあっても不思議ではない。昨日、新国立美術館にカヨ子さんの彫刻の搬入で出かけた。国会周辺の警備の厳重さは、まるで戒厳令を引いたようであった。国会など守る必要性は低い。問題は原発である。あそこがやられたらひとたまりもない。周辺住民の不安感は日々のことである。福島原発の周辺町長が、「事故はないと信じていた。」と発言していた。それでは駄目である。事故は起こるものである。そのつもりで原発には対処しなくてはならない。

原子力発電所を止めて、その分当面暮らしを我慢しようではないか。今の暮らしから30%電力を減らしても、暮らせない訳ではない。早急にソーラーと蓄電システムの充実だろう。蓄電の仕組みは電気自動車搭載の蓄電池の非常時利用が良い。原子力発電所は必ず大事故が起こる。今回は幸運な方と考えなければならない。あの水素爆発で、炉が崩壊していたらと考えると、背筋が凍る。まだ安心はできないが、紙一重であった。電力会社の安全広告に騙されてはならない。災害は想定できない。いつも予想を越えて押し寄せてくる。まちがいなく、近く起こる東海沖地震には、万全の備えをしなくてはならない。すべてを優先して防災対策を進めておくことである。小田原でいえば、広域のごみ処理場とか、市民ホールとか、後回しだろう。防災に強い街に作り直す。そのことで何千人の命が救われるはずである。

 - Peace Cafe