まちなか市場

   

2月20日(土)3回目のまちなか市場が開かれる。農の会が出るのは、小田原郵便局の前の静岡中央銀行のところになる。私はできるだけ玄米卵を出そうと思っている。2月のこの寒い状況で、どれだけ人が出るか心配。苦戦が予想されるからこそ、農の会も出ることになった。五平餅やガルビュールも出すので、是非とも立ち寄ってもらいたい。

小田原でも、街の活性化と言う事で、様々な試みがされてきているのだが、まだ、商店街の賑わいが戻ったとか、売り上げが伸びていると言う事は聞かない。全国どこでも経済の低迷は続いている。インターネットというものが出来て、街の機能は変化している。消費者が買い物に出て行くと言う事は、今後さらに減ってゆくだろう。消費者の多様化に、街の商店街と言う機能が、対応で来ていない。整理されていないと言う事だと思う。商店で育った人間だし、実はその昔は商売の経営もしていた。それなりにやったと思う。しかし、完全に止めた。商業という物の先行き、街という物の先行きより、もっと絵の方が大事になった。絵を描くのに商売をしながらと言うより、農業をしながらの方が、望ましいと考えるようになった。その点では、間違った判断だったとは思わない。農産物を生産して販売すると言うのは、筋道が見えて良い。絵を売って暮す、と言うのは色々の意味でつらい。

養鶏を始めて、商売の経験が生きて、どうすれば売れるのかはわかっていた。昨日は県の商工課の方が3人で見えた。農の会の活動の説明をさせてもらった。農の会が従来の商業の観点から見ると、商工課の方には、想像を絶するものであっただろうと思う。農の会は農業をしていたい。後は何とか生きていければ、文句はない。と言うような幸せ感の中で、成立している。もっと儲けたいとか、営農として拡大したいとか、そんな人は少ない。もっと小さくしても生きて行けるなら、それも良しと言うような、逆方向のベクトル、縮小再生産論理が生きている。こんな工夫をしたら、もっと小さくても住む。商工課の方々は何か協力したり、繋げたり、してくれると言う話だったようだが。何もつなげようが無い話で、戸惑った事だろう。3%の人はいる。足柄平野に1万人は農の会感覚の人が居る。これがイギリスなら、2万5千人居る事になる。

それで充分なのだ。農の会で1万人の食糧は無理だ。でも、1万人までは今のままで需要は続く。さらに、社会の方が10年の間にヨーロッパレベルの8%セントまで農の会の感覚の人は増加する。この予測は概ね間違えがない。循環する社会を好ましいとする人である。安全志向のひとは3%だったが、循環志向の人を加えながら5%ふえる。街という物は、100%を対象に動いてきた。20%の人がお客さんなら、それを25%の人をどうすれば呼べるかと言う方向である。これがもう通用しない状況が、年々強まっている。加速度的で、月々と言うぐらいの感覚で居ないとならない。農協のドレミファーミーが6億ぐらい売り上げていると言う。新店舗で、農産物だけで、善戦である。この流れは他の分野にも、現れてくるだろう。今世間の安売り合戦は、他店と同じものを他店より安く売る。大衆と言う見えない消費者を狙う商売の最終的姿で、最低の末期的商売の姿。

地産地消の模索。地域にしかない物産が、小田原の商店とどう連携できるのか。玄米卵は販売されている卵としては、日本1のつもりである。この足柄平野以外の人は食べることができない。そういうつながりを見つけたい。足柄地域に住んでいるので、足柄平野のお米が食べられて、相模湾の魚が食べられる。こんな当たり前の事が失われている。おいしいからと言って、魚沼産コシヒカリがもてはやされるので、それに便乗していても、小田原の物語は生れない。商店で売られているものは、世界中から集められたものである。それなら、インターネットをとおして、世界中から自分で取り寄せた方が、より良いものがよりやすく手に入る時代にどんどん変わってゆく。これはここでしかない、歩いて買いに来なければ、買えない。いわば、ウイロウさんの商売が、次の時代の街の姿だろう。最近駐車場が出来たようだが。

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