最後の事務次官会議

   

官僚支配などなかった。当たり前の事である。選挙のための造語である。支配してきたのは自民党である。今官僚は、すばやく変身し、民主党におもねる発言を始めているではないか。自民党の体質の曖昧さ。これは日本人の曖昧さでもあるが。そのために自民党は自ら日本を支配してきた事に、明確な認識を持てないで、支配して来た。官僚は支配者と言うより、誘導実践する行政者であった。「日本においては、政治家が立法権を担い行政権を担う主体が官僚というように、議院内閣制は変質し、政府における最終的意思決定の責任が不明確化している」自民党の永遠に続くかに思われるような、長期政権を背景に、実施する政策を自民党の意志を、先読みするかのようなかたちで現実化する役割を、官僚は負ってきた。その意味で、日本の官僚は世界一有能であると言われたのだろう。官僚は支配するより、出世して認められたい人種である。自民党政府の消化しやすい、メニューを提出してきたのだ。この構造が長期政権の最大のがんであった。

この長年の癒着構造から来たものは、政治家の能力の低下と官僚の能力の低下。それは15年戦争と言う不毛な時代に、幼年時代を過ごした世代の、世代的不毛でもある。まともな教育などないといってもいい15年があり、この国の人材は大きく劣化した。明治、大正期は日本が列強に伍してゆこう、と言う上昇志向の時代であった。さまざまな日本的なものを失った時代ではある。間違った方向に、帝国主義日本へと、歩んでしまった。が江戸時代より残存した徳育は存在した。そして、結末を不幸な形で迎えた日本は、昭和5年からの15年、まともな教育はないまま、国は戦争へとひた走っている。よほどの見識のある家族以外は、まともな子育てなど出来なかった。結果生まれたのが、お金以外の価値を認識できない世代である。その世代が日本経済を、明治、大正世代から引き継ぐと、即物的な金権主義を掲げる事になる。そして、後継世代としてホリエモンを代表とする、金銭的価値以外見えない人間を重用する。まさに、一部の官僚がそれに答えた。

今やっと価値感の転換が、芽生え始めた。官僚の中の良質な部分を私は知っている。むしろ新しい世代は、日本を良い方向に導く、情熱と能力を持っている、と感じる。必ずや、若き官僚たちが日本を転換する大きな役割を担うことに成る。民主党政権は官僚を排除する必要はない。その能力を十二分に引き出すようにする事だろう。官僚の中の自民党的人材の排除。農政においても、経済だけで農業を考えてきたのは、自民党である。国際競争力のある農業を唱えて、無理な競争を可能なように見せかけ、出来ない農家を潰して、やる気をなくさせ、耕作放棄地を増していった。農業を行えば、大儲けはできないまでも、一応の暮らしは可能である形。人間には競争の中で力を出すものもいれば、普通である事でその能力を発揮できるものもいる。農業は普通に生きる人間の世界である。民主党の示す方角の、農業の新しい形の提案こそ、官僚の役割である。

官僚は選ばれた有能な人だ。政府が打ち出す方角を、具体的な形にして行く仕事の人材である。前農林水産省事務次官は民主党の農業政策を、現実離れしたものだと批判していた。所がいまや、民主党の打ち出す方向を、現実化することがその役割となった。その能力がある人間が、農水省の中心を担うことになった。出来ない人間は入れ替わらなければならない。自民党的人間は出世できないことを官僚は察知しているはずだ。「失われた10年」と称される経済失政が生じたこと、その後の霞が関不祥事、防衛省の汚染、年金記録問題、官製談合の続発。天下りにからワタリ。「官僚の質の劣化」を引き起こしたのは、自民党の体質が根にある。持ちつ持たれつで、劣化の道を歩んだのだ。民主党がもう一度その轍を踏まないか、大いに不安はあるが、注視することが重要な場面であろう。

昨日の自給作業:ネギの土寄せ、草刈2時間 累計時間:8時間

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