夕顔の花
そらやさんが夕顔の種をくれた。沢山ポットに蒔いたのだが、2本だけしか発芽しなかった。その話を、沖津さんのおかあさんに話したところ、種を僅かに傷つけなければ発芽しないという事を教えてくれた。沖津さんのおかあさんは詩人である。詩人と言っても詩を書き付けるわけではないが、話すことが全部詩なのだ。つまり、生まれ着いての詩人で、本当のいきている詩人だ。おかあさんは全国に、夕顔の苗を毎年送っている。夕顔が好きだからそうしているのだろうが、それは、寂しく死んだ金子みすずが夕顔の詩を書いているからだ。金子みすずの熱烈なファーンなのだ。全国をそのことで歩いている。日本いたるところに仲間がいる。それで全国に、夕顔を送るおかあさんになった。それで毎年田んぼの頃に成ると、合うたび、「もってけ、もってけ、」という。詩人への思いまで全部を戴くようで、何とかごまかしていた。それが、そらやさんから種をらってしまったので、今度は貰わない訳に行かなくなった。
2本だけじゃどうしても寂しいというのだ。それで、さらに苗2本戴いた。寂しい金子みすずだから、寂しい方がいいと思うのだが、それじゃー絶対に承知しないという勢いなのだ。頂く事になった。日よけを兼ねた、花壇を作り、立派な竹組みをしたので、これに絡ませる事にした。それはぐんぐん伸びた。丈夫なものである。あの寂しそうな花からは、信じられないほど、旺盛な草である。てっぺんまでいって、今度は絡み合いながら、下に降りてきた。寂しい人だったから、丈夫な旺盛なものが好きだったのかもしれない。あれよあれよという間に、窓を覆った。花壇の具合がとてもいい雰囲気になった。8月に入ってすぐに、1輪が咲いた。真っ白な大きな、大きな花だ。朝顔を思っていたから、随分ゆったりとした、たおやかな空気があるものだと感心した。朝顔は江戸文化。夕顔は京風なのか。それからは毎夕必ず一輪、二輪と咲いている。それが最近は10輪20輪になっている。
「夕顔」 金子みすず作
お空の星が
夕顔に、
さびしかないの、と
ききました。
お乳のいろの
夕顔は、
さびしかないわ、と
いひました。
お空の星は
それつきり、
すましてキラキラ
ひかります。
さびしくなつた
夕顔は、
だんだん下を
むきました。
大きな葉はさつまいもの葉と良く似ている。ゆうがおといえば、かんぴょうを作る、大きなうり科のユウガオがある。冬瓜もある。冬瓜の方でも、夕顔とは親戚ぐらいの品種的距離がある。花の夕顔は違うもので、さつまいもとおなじ科である。要するにどちらもヒルガオ科の一種である。当然朝顔もヒルガオ科である。