戦うべき時
麻生太郎首相は7日午後、東京都武蔵野市での街頭演説で、核実験を行った北朝鮮への対応について「われわれは戦うべき時は戦わなければならない。その覚悟を持たなければ国の安全なんか守れるはずはない」と述べた。(東京新聞)
確かに人間はそう言う事を言いたくなる生きものだ。日本国総理大臣が、「どんな場合でも逃げ回ります。」などと発言すれば、それこそ顰蹙を買うだろう。本当にそうなのかと言う事を考えてきたのが、「平和への希求」という永遠のテーマではないだろうか。本能に訴える、戦うべき時とは一体どんな時の事だろう。北朝鮮が、瀬戸内海まで入ってきても戦わないのか。こう発言した人も居た。国民を守る義務を果さなければ成らない。非戦主義者に対し、腰抜けに国を任せて居られるか。こう言う事に間違いなくなる。挑発という政治行為に乗せられてはならない。瀬戸内海と言う反応自体が、まさに思うように扱われている証拠である。
「覚悟」は武士の言葉であろう。百姓の言葉で言えば「虫ケラのように」である。北朝鮮にも、百姓は生きている。国家というものに翻弄されながら、土を耕している。その実際に想像力を働かせれば、核実験を行い、ミサイル実験を繰り返す、まともとは思えない首領様が居るにしても、そこで生きている人間は同じ生活者である。そこに迄一直線で繋がっていることを見通すことが出来る。武士は頑なであり、精神論者である。虫けらであることを恥とする。農民はこの百姓共がなどと呼ばれる恥じである存在である。当然覚悟も無いが、国を守っているのが誰かは知っている。核実験にムダガネ使われて、食べるものも充分にない。地べたの百姓がかろうじてその首領様の国を守っている。その苦しいであろう農民に思いを到らせて、できない我慢をすることが必要ではないか。
中国の国連での外交姿勢をよくよく見ておく必要がある。一番困難を背負っているのが、同胞であるはずの中国である。国内に同じ朝鮮語を話す朝鮮民族も多数存在する。交流も最も活発である。一反事が起きて、問題をかかえるのは中国である。中国が影響力を失っていると言うアメリカの見解があるが、中国の影響力はいまだ相当に強いと考えた方が良い。北朝鮮の内部事情を充分に分かっているからこそ、ロシアとも一線を画した対応を取っている。ロシアと言う国は外交力のない国である。すぐにも武力に及びかねない体質をかかえている。中国は実に深い外交戦略を有している。日本は中国に腹を立てないで、どのように連携をとるかを模索すべきだ。「戦う時は戦う」などと勇ましい発言はしてはならない。国民向けに喝采を浴びたいかもしれないが、蛮勇発言は挑発に簡単に乗った、と言う浅さと手立てのないあせりの実態を見せるだけの事。
いずれアメリカの後退は起こる。そのとき日本はどうする。アメリカ無しに、戦う時は戦うなどと言えるのだろうか。北朝鮮と同じく、核武装しようと言うのか。それは世界が滅ぶ道筋にしか見えない。民主党の憲法私案は実に難解で、スッキリしないのだが、国連主義と言ってもいいのだろう。では国連の北朝鮮へのアプローチに対し、日本は何を行うべきか。明快に見解を述べるべきだろう。国民の多くは今政治の選択を失おうとしている。民主、自民、両党が9条2項の廃止を掲げている。廃止の上で、盛り込もうとしている平和主義の内容が分からない。私には2項の廃止をする前に、やるべき平和努力を日本国民はどれだけやったのか。あれだけの迷惑をかけて、その反省の証として出来た2項に対し、日本国民は恥じることなく、充分の努力をしたと言えるだろうか。平和への努力をせずに、武力の道を選択するのは、いつか通った道へ戻ることになるだろう。