しるべ展月曜開催
9月8日から13日まで、「しるべ展」を開催する。銀座東和ギャラリーでの最後の展覧会となる。東和ギャラリーはなかなか良い会場であったのだが、東和銀行が経営の母体で、銀行の合併に伴いなくなると言う事らしい。ここで7回ぐらい開かしてもらったのだろうか。うちの奥さんの参加している日美彫刻展もここを会場にしていたから、ここに顔を出す機会は多かった。変わった空間の画廊であったけれど、使い方によっては、おもしろい展示の出来る会場であった。何しろ天井の高い、8メートルぐらいあるのが、素晴しい特徴だった。加えて、一階で外光が入る。水彩画を展示するには魅力的な画廊だった。銀座は最近会場がなかなかない。ギャラリーの経営が出来なくなるほど、家賃が高い。15年ほど前にも一度そう言う事が言われ、画廊の移動などあったが、その後家賃の方が値崩れした。また2年ほど前から家賃が急速に上がっている。
しるべ展は昨年もこの会場で「水彩人」と合同展を行った。今回は水彩人が協力と言う形での参加だ。しるべ展が、独自のグループとして展開して欲しいと願ってきたのだが、一応はその試みは今回までと言う事になる。今後はしるべのメンバーの考え方次第ということになる。しるべ展は5回目になる。しるべは各々の絵を少しでも良くするための集まりとして産まれた。2泊3日の研究会を10回ほど続けてきた。その中で、作品を作ると言う事はどう言う事なのだろう。それには描いた作品を発表すると言う事も必要なのではないか。ただ描き、そのままにしておくのでは、描く何かが不足するのではないか。人に見せると言う事から、描くと言う事に、良い影響が生れるのではないか。そんなことを考えて、始まったものだ。
絵を学ぶ事はなかなか難しい事で、いい絵と言うものは、確かにある。本当は絵がいいという事は決定的なもので、ゆるぎないものなのだが。それはマチスとか、ボナールとかの場合のことで、我々レベルでは、少々良かろうが、悪かろうが、50歩100歩と言う事になる。だから、絵の評価はインチキ臭い所で持ち上げあったり、堂々巡りしやすいものだ。公募展などに係っていると、その辺りのまやかしは経験する。志だけは、高く持ちたいと、本音で語り合えるグループの形成に努力してきた。全員が対等で、出来る限り自由に、作品を語りえる仲間。本音で絵の事を批評すると、なかなか厳しいものがある。今回の展覧会はその50名に及ぶ仲間の展覧会だ。今回は最後にはなるが、なかなかのものになるのでないかと思っている。
ひし形の池を描いた作品を出す。たまたま、池が反射して菱形に耀いていた。この不思議な矩形に引きつけられるものがあった。これを形として描いて見たいと思った。菱形の耀きは紙のままに残そうと始めから考えた。紙の耀きと重なった。川からの流れや、茂み、木陰、矩形に呼応するように、描いた。とてもおもしろいものになったのだが、これが絵なのかどうかという点は、わからないところがある。最近描くものはそうなりがちなのだが、自分としては搾りきっていて、なかなかいいと感じるのだが、人への伝達と言う要素が、抜け落ちてきている。絵画が表現である以上、私が絞りきった何かが、何かとして、伝達されるもので無ければならない。ここでの表現と言うものが、人間であり、哲学であると言う事に結局はなるのだろうから、内なる自己の何たるかが、いつも付きまとってくる。