野焼きとうどん作り
昨日は終日、小宮農園に居た。楽しい一日だった。毎日がこういう具合に過ぎてゆくなら、もう何も言う事はない。大満足である。まず、うどんの美味しかったこと。小麦の味がこんなにも充実したものだと、嬉しかった。美味しい物を食べると言う事は、生きている楽しみだ。昨日のうどんは、杉崎さんの苦労のお陰だ。小麦を提供してくれたからこそ出来た事だ。地場の自然農法の小麦を手に入れると言う事は、足柄地域では自分で作る以外、方法がない。杉崎さんとしては、半年の苦労の結果を、みんなに好意で振舞ってくれた、と言う事だと思う。全部家族で食べたい。こう言われていたのは、本心だったと思う。家族の協力で出来たものだ。佐保さんが、定例会でうどんの販売は良くないのでは、と発言された気持ちも良く分かった。私自身は、田んぼに興味が集中して、小麦に手がかけられなくなり、止めているから、身に染みる。今年は作るのでお許しを。
何故、無理をお願いしてまで、うどん作りをやりたかったのか。それは、本当のうどんと言うものを、その美味しさを知って欲しかったことに尽きる。本当のうどんと言うものは、私の知る限り食べれる所がない。毎晩うどんで育ったことがあるから、うどんに思い入れがある。あのうどんが消えてゆく事は、残念でならない。そらやさんから、粉を分けてもらえたときに、大切にうどんを打つ。特別なものではないが、他にはない、すばらしいものなのだ。消えるものは消えるしかないのだが。やはり、ひとつの文化が消滅すると言う事は、寂しい。もし、本当の味を知らないが為に、うどんが消えてゆくとすれば、何か出来ないか。これがうどん作りになった。すごい高温の野外でうどんを作ると言う事で、困難はあったが、満足の出来だった。粉の含有水分量で苦労した。相当に水が多かったのだ。一日中協力いただいた。特にOさんありがとうございました。
この最中、野焼きが進行していた。こちらはもう皆さんにお任せだったので、お世話になりっぱなしで、感謝、感謝、感激でした。うどんが終わり、野焼きの方に行くと、今年も、1000度を越えていた。しかも今年の越え方は、長時間釜全体が、1000度を越えた。周辺の低い部分で測定していたから、高い所は、すごいことになっていた。去年まで、2釜作っていたものを、一回り大きな一釜にしたから、新しい挑戦だった。稲藁の2段積みが、相当心配要素だったが、何と最後まで釜もくずれなかった。泥窯の可能性を一歩広げた挑戦だった。泥窯プロジェクトを展開しているのは、兼藤忍氏だ。泥窯そのものが、作品なのだ。実にいさぎいい作品で、出来上がり、燃え上がり、炎を噴出し、作品として命をまっとうすると、壊されてしまう。
取り出された作品の質の高さにはビックリ。繊細な作品もあれば、ワイルドなものもある。いずれも参加者全員の祈りのようなものが、加わり、素晴しい色合いを発現した。偶然ではあるのだが、人為的でもある。炭や藁や、入れたミカンの枝や、積み重ね方や、寄りかかる具合やそれなりに計算をしながら積み込む。これが、何回もやってみると、結構人為的にもある程度は作れる。取り出しの具合や、いぶしの調整。作為的なものと、それを裏切りながら、思いもよらない神の采配の妙。作品は去年同様に、しばらくは小宮農園で展示してくれる事になった。作品のそれぞれがまだ離れがたいと、主張していたのだ。小宮さんも、兼藤さんもお陰様です。ずーと頭にあったものが、形になりました。今日もう一度明るい所で見るのが、楽しみです。