少数意見

   

ブログに、意見をもらえると言う事は実にありがたい。自分が1人で考えていた事に、違った角度が入る。そのことがしばらく頭の中で、巡り回る。これは大切な、ありがたいことだと思う。大体に私が考えている事は、少数意見に属する。私の頃の小学校の通信簿の5段階評価では、5か、1にあたる。50人居て、3,4人の考えだ。これは無くなった日産保険に勤務していた友人が、良く言われていたが、全ては統計だ、と言うのだ。どんな考えでも必ず、反対する人、賛同する人、中間の人。統計的比率だと主張するのだ。これが私には付いていけない考えだった。心理学がやはり、似たようについていけない。こういう時には人間はこう反応するもの、と分析する。いつも少数派的に属する性格らしいのは自覚がある。だらから大抵の事に反抗的である。その自覚もある。こうした人間のつぶやきに、意見がもらえると言うのは、ブログと言う形の優れた所だ。

少数意見の例として、私は消費税10%賛成である。もっと上げてもいいと思っている。消費税が登場したときから、一貫して賛成だった。珍しく経団連とは、同意見だ。しかし、消費税の値上げが選挙にまずいから、当分凍結らしい。こういう政治家の計算高い対応が、どうにもいただけない。選挙では難しいとして、選挙の争点にはせず、実行しようと言うのは、あまりに姑息だ。しかし、そんなものだと、それが世の中というものだ、ときっと多数派の人が考えていると、踏んでいるのだろう。消費税の値上げは賛成できないが、消費税をなし崩し的に上げるのは、止む得ない。こんな不思議な、受け入れ方をするだろうと、政治家は見ている。選挙が終われば値上げになるが、選挙前には値上げには触れないで置く。こういう対応が一番嫌いな事だ。

多数意見に自分が属する安心感と言うものに縁がない。長いものがあれば、巻かれないように、対抗心に燃えるところがある。そういう位置が習い性になって居るかもしれない。食糧自給率を上げる。国を挙げて取り組むというと、どうだかな。とへそが曲がる所がある。さらに顕著なのが、温暖化対策だ。世界の正義のように言われると。どう考えても怪しげな気がしてくる。少数意見に立ちたいとむらむら反抗心が高まる。突き詰めてみれば、暮らしの方の肥大化は止めないで、脆弱な暮らしを維持するための、温暖化防止であったりする。ゴア方式とでも言うのか、冷房生活のためのソーラー発電だ。大多数を占める、途上国の人は今のままの暮らしで凍結で止むえない。さすがにこれはまずい、とすれば原発の登場になる。六ヶ所村再処理工場の稼動になる。

そんないつも少数派ではあったが、少し風向きは変わってきた感じがする。少数派が主張するようになった。主張できるようになった。今でも、「共産党なんですか。」と圧迫しようとする人に結構出会う。さすがに、そういう発言は60歳以上の人だけになった。共産党の存在がちいさくなった。と言う事と、少数意見をレッテル付けで圧迫する発想が、通用しなくなってきた。先日の小田原市長選でも加藤候補は共産党だ。と言う豊島陣営の戦略が裏目に出て大差になったぐらいだ。村八分になっても何も困らない、社会と言うのはいい。ごみ捨てをさせないと言われたぐらいでは、たいしてへこたれない。少しは、少数者の暮しやすい社会に近づいている現われだ。多数派が見えない何かで、圧迫してしまう。圧迫してしまうために、見えない形で、多数派意見の形成を計ろうとする。小田原で言えば、自治会総連合の、陳情書の提出などがそうした古い手法だった。こういうのが、通用しないどころか、逆効果になる社会になって来ている。

昨日の自給作業:草取りなど1時間 累計時間:23時間

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