温暖化ってまずいの

   

環境ファッショのこと。循環可能の服のファッションでなく、ファシズムの方。環境絶対主義。環境教信者。これはいやだ。あくまで科学的なアプローチこそ問題解決の道、と言いながらこれもまた、環境原理主義の道であったりして。ともかく総合論から考える必要がある。そもそもエコとは、とか偉そうに考える気はないが、温暖化についての、妄信のような傾向には異論がある。木を植えれば温暖化対策になる。と言う考えはよく言われる。しかし、木を植えたところで、同じことだ。こういう発言も、よく言われる。木は一時的にCO2を吸収するが、あくまで一時的で、枯れれば又排出する。確かにそれはそうだ。しかし、砂漠を緑化すれば、一時的にストックできる事はできる。そもそも石油は木だ。これだって一時的ストックだ。何もかも燃やした所で同じことだ。こういう人も居る。論理のすり替えのようだが、スパンを変えればそう言う事になる。

時間軸のずれ。人間の生きる100年と言うスパンで考えることと。何億年と言う単位で考える事は別。恐竜が生きた時代の長さを考えれば、人間はまだヒヨッコ。恐竜の暮らしの方が地球との合理性では勝っている可能性だってかなりある。時間軸が論理展開でゆれる事があるので、混乱が起こる。地球号とか新しい視点を提案したつもりでも、地球がどうなると言う問題になれば、温暖化など、全く関係がない。全て火の塊だった事だって、地球にはある。これがさらに宇宙的な視野の捉え方になれば、天が落ちてくることが、杞憂ではなくなる。人間の暮らしを考える時に、何が良くて何が悪いか。この選択を何処ですれば良いのか。ペットボトルは要らない。こう発言する人も、大抵の場合塩ビ管の水道で、水を飲んでいる。こだわりの極端な人は、ステンレス管を使うことになる。便利の度合いと言う事になるから、理屈で言えばすぐひっくり返る。水道などいらない。こういう人はさらに少くなくはなる。しかし、地球規模で考えれば、水道がないところの方が大半だ。小田原にだって、水道がないところはある。それでは暮せないかと言えば、雨水だって暮せる。どのあたりをいい加減とみるか。見定めが肝心だ。

この冬暖房を止めてみると、一度でも暖かい方がありがたい。温暖化してくれないかとさえ思う。いよいよ夏暑くて40度、冷房しないのでは耐えられない。もしこうなれば、温暖化はとんでもない。普通の暮らしとはそうした場当たり的なものだ。と考えた方がいい。議論はあるところだろうが、温暖化の検討はどどのつまりは政治の問題になる。やはり全体の事を総合的に考えて、正義とか、科学とかだけでなく。全体の幸せを考えた事でないと、いけないのだ。問題は少々あるが、この辺りが、妥当ではないか。そういう妥当線を出すような性質の事だ。趣味で、暖房を使わない方が、気分が良かったが、それは人に偉そうに唱えるような事では、絶対にない。ステンレス管で水道を引きたい人はやればいいけれど、それはあくまでその人の好みだ。正しいとか、人に薦めるとか。そういうのは勘弁してもらいたい。塩ビ管は塩ビ管の合理性がある。塩化ビニール素材に罪はない。あくまでどう使う側が問題なのだ。ともかく、環境原理主義者はいただけない。それでつい、温暖化ってまずいの。皮肉の一つも言いたくなる。

だから、お米が取れなくなるとか、魚がいなくなる。こういう視点からの意見は馬鹿げている。海水面が上昇して住めなくなるというのも、同様である。自然はいつもそうなのだ。そう思わざるえない。自然はいつも人間の都合とは関係なく、大災害を繰り返す。恐竜は隕石が降ってきて居なくなったと言うが、もし、降って来なかったら、人間は今居るのだろうか。そもそもと言う話になれば、何でもどうでもよくなるが、そう言う事ではない。折り合いのつけ方を考えたいのだ。ペットボトルとの折り合い方。塩化ビニールとの折り合い方。自然との折り合い方。人間が何でもできるなどと思い込むのは困る。いいことも大して出来ないけど、やること、そう悪いことばかりではない。

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