「たまごの話」
江戸時代 鶏の改良では、日本は世界一の改良を行っていました。ニワトリはすべて、赤色野鶏1種から人が作りだしたものです。赤色野鶏と土佐の小地鶏は見た目では、ほぼ同一種です。天然記念物の日本鶏は17種いますが、どの鶏を見ても世界で類を見ない、交配の妙と言えます。今の技術力では再現すら出来ない高度なものです。
処が、不思議な事に江戸時代、産卵鶏を作り出す努力が全くされていません。大正期にウヅラの多産系を作り出したのも日本人ですから、充分技術はあったにもかかわらず、江戸時代産卵性に着目しなかったのです。宗教的な意味かと言うと、肉鶏のほうは比内鶏のようなものもいますし、鶏肉は4つ足で無いと言う事で、食べられていました。卵料理の本「卵百珍」が天命5年に出版されています。たぶん当時の暮らしの中には「多い事はいいことだ」と言うような感覚が、無かったのでしょう。
子供の頃、卵は乾物屋さんで売られていました。乾物屋さんの朝の仕事が、太陽に卵をすかして、悪くなった卵を選び出す事でした。有精卵の時代は1ヶ月ぐらいは平気で食べていたのです。いよいよだめだと言うのを、安く売るかごに入れました。たまごは、鶏の命をつなぐ循環の要ですから、実に上手くできていて、栄養的にも、保存の点でも、完全食品と言える物の1つだったのだ、と思います。
私のところのベスト記録では、70日保存してひよこになりました。これは室温で保存した種卵です。生命力の強い卵を産ませ、卵を9度ぐらいに保ち、日に1回は逆さに返し、中の水分が蒸散しないようにすれば、3ヶ月は生命を保つはずです。1年保存して、卵の状態が変化していなかった記録があります。
江戸時代、庭先で家族の数程度ニワトリを飼い、卵を産めば食べる。産まなければ食べない。こうした、自然を受けいれる暮らしの中で、より美しい鶏を作り出して行ったような、優れた感性を。私達の暮らしの中で見つけてゆきたいと思っています。そこで、私の作った笹鶏は私の暮らしを表していると思っています。