絵を描く心の置き所

   



 良い絵を描こうと考えているわけでは無い。笹村出という人間の世界観が画面に現われた絵を描こうとしている。それが良い絵だと言うことには成らないと言う気はしている。良い絵に向かえば、どうしても世間が良いとしている基準に向かう絵になる。

 私にとって絵を描くと言うことでは、良い絵という一般的な価値観からも自由でなければ、実現できないと思っている。奇妙で不可思議なものであれ、これが自分の世界だと言える画面を描きたい。まあ、常識的な画面ではあるのだが。それは結構常識人だからだろう。

 自分などという物が存在しないこともいつも自覚している。自分らしきものとして生きている感覚がある。描いているときにその断面を切り取ろうという感じだ。それを感覚的なものに留まらないで、自分の存在が置かれている、この世界全体を包括するような画面にしたい。

 何を書いているのかよく分からないが、その辺りを探りながら絵にしようとしている。頭で言葉にしたら表現できない世界も、絵は表すことが出来るかも知れないと思っている。こんな風に分からないのだという感触のままに表現することは絵では可能だと考えている。

 具体的にそのことを探ってみると、絵の中に色彩のつじつまを合わせをしようとしている事が多い。海であるとか、山であるとか、そういう対象の意味にはほとんど関係してこない。ある意味どこの何を描いても同じということになる。絵から物語は消えてゆく。

 絵は描いている繰返しの中で、色が突然はっきりとしてくるという経験をしている。ある部分の色が変わると、何もしていない部分の色が突然色としてはっきりと主張してくる。その調整を繰り返しているとすべての色が色として見えてくるようになる。絵を描いていると言うときほとんどこの作業である。

 チューブの中にある絵の具の色は、まだ色ではない。パレットに置かれたときも色ではない。画面に描かれることで、紙の白との関係で色に見え出す。紙の白がすべて置かれた絵の具の色に変わったときに、始めて最初に置かれた色も、他の色と関係して意味を明確にする。

 そのことはマチスの絵から学んだことだと思う。ボナールが好きだというのは、絵を始めたときの感触だった。中学生の自分はボナールを何度も模写した。ところがあの微妙な色彩の出し方が出来なかった。無限の微調整で出来ている。

 ところが、マチスは微調整を一切しないで、マチスの色彩の世界が出来上がるように苦闘していた。そのあり得ないような絵画の成り立ちに気付いたときに、マチスがたどり着いた世界は、絵画の結論を求める色彩の科学だと思った。マチスの達成したその先のことに取り組むことが未来に向かって絵を描く者の目標だと考えた。

 ところが、そのマチスからのスタートする次の絵画世界は、ついに誰にも出来なかった。つまりマチスは一つの結論で、その先などなかった。ボナールのかぎりない微調整の世界と同様に、マチスの絵の到達点はマチスという個人の結論だったと考えるほか無い。いかにも科学的な色彩に見えたが、マチスの絵画世界観だった。

 色彩が画面である地点で成立すると、そこに何かが立ち上がってくる。あるところまで来ると色の関係が鮮明になり、描いた色彩が、一つ一つ明確な色であることを主張をしてくる。画面での色彩の関係が自分という物と関係がある事は間違いではない。

 色彩の関係の調整は実に複雑で、どこで色が立ち上がるか。どこで画面の色が成り立ったか。どこで色の意味が明確化したか。無限の色彩の中で、無限の色彩の組み合わせの中から、探り出す一つの色彩による世界観の制作がある。

 何故か描いている内に色が立ち上がる。さらに描くことで、立ち上がり又消える。描き進める内にこれぞという色の感じが収まる。画面すべての色彩が置かれるべき所に置かれ、調和したところがその人の絵なのだと思っている。調和したと感じるその人との世界観に一致したと言うことだろう。

 それは色彩の科学者マチスも、色彩の魔術師ボナールも少しも変わらないことだったと思う。描く対象は身の回りにある興味深い物であれば、何でも良かったようだ。両者の間を揺れ動きながら、絵を描いてきたように思う。絵が違う理由は、私が見ている身の回りの世界が違うと言うこと関わっている。

 私は筆触という物に重きを置いている。それは日本の伝統的な書から来ているような気がする。筆触だけで世界観が表現できるというようなものが、書だと思う。マチスが切り紙まで単純化したことはまさに神業である。ボナールが限界までの微調整しつくした感性のすごさ。筆触だけに集約した書も同じような追究なのだろう。

 私には色彩の中での筆触というところに表現を託している。だから水彩画を選んだのだろう。水彩絵の具は色のある水墨の感触である。筆触が表現しやすい。マチスの切り紙は紙に水彩絵の具を塗った色紙を切り抜いて描いている。ボナールの水彩画は油彩画以上の美しい輝きがある。

 思いついたことはすべてやってみる。絵が良くなるとか、出来上がるというような方向ではなく、ありとあらゆる事を
やってみている内に偶然のように引っかかり、立ち上がる色がある。色が緊張して、緑ならこの緑しかないと明確な主張に変わる。筆触を変えたことで色が立ち上がる。そうした試行錯誤も水彩画の色彩には重要な要素になる。だから失敗してやり直しを繰り返すことも重要なことになる。

 画面の一部の色が立ち上がればその色を追って他の色も立ち上がり、明確に何色と見えるように進めている。上手く進むにしたがってだんだん曖昧さが消えてくる。曖昧さが消えるのは色の関係が明確になってきたからだ。そのためにはありとあらゆる条件の組み合わせが必要になる。

 条件が整い始めると色を追う流れが生まれる。画面の動きとでも言うよう方向性のある動きが起こり、どこかで収束するような動きである。たぶんそのことを西洋絵画ではムーブマンというのだと思う。書なら動静というのだろう。目がその動きをなめらかに追えるようになる。色彩がその動きを誘導して行く。

 マチスの色面の組み合わせで整理して行く方法。ボナールの微妙な調子で色を調和させて行く方法。マチスのように切り絵でも可能な方法もある。しかしボナールのように微調整の限界まで進める方法もある。マチス流は難しすぎて出来ない。同時に体質的にはボナールの微妙さに惹かれる。

 マチスから出発できるという幸せな位置に自分はあると20歳の時に文章にしたことがある。考えてみれば、誰もマチスを超えられないまま、絵画という物が社会から姿を消した。マチスが最後の画家なのかも知れないと改めて思う。

 - 水彩画