2019 水彩人展 批評4
水彩人展で興味を持った作品について。
辰仁 麻紀 「ゆれる涙」「秘密」
この方は初入選でもあるのでそちらに書いた文章。 空間の深さや調子に、たぐいまれな才能を感じる。ものを切り取る美しさが鋭い。日本画的な切り取り方ではなく、この切り取り方に絵画性を感じる。色の濃度の配置が的確。少し気になるのが、材質的な表現である。これだけの空間感があるのだから、もので示すのではなく、色の濃度だけでより深い表現が可能ではないだろうか。ものの説明的なところは、なくしていったらどうだろうか。
白石 直子 「黄色い船」
愛媛の方である。愛媛から出てきてくれて、初めてお会いできた。空が実に良い。雲が自分の頭の上にあることが良く分かる。美しい筆のおき方。色の重なりによって、見事に美しい空が生まれた。空は自由だから、水彩では様々な表現が出来る。私もこういう見ている空が描きたかった。
横瀬 小夜子 「歩み」 「春光」
柔らかな筆触が良い。水彩表現の美しさが味わい深さになっている。ものを見ている柔らかな心が伝わってくる。色の積み重なりが濁りにならないところが素晴らしい。
高木 玲子 「春 カモメ乱舞」
カモメの群がりの感動が伝わる。カモメの組み合わせが空間構成になっている。空という空間に、カモメの形を組み合わせることで、不思議な空間が生まれている。空の奥にある港の風景という、愉快な独特の構成は実に新鮮である。
山吉 トシ子「水辺にて」
遺作である。静寂な精神世界。ずいぶんと学ばせていただいた。亡くなられたと思うと改めて寂しい。小田原の久野に時々描きに来てくれて、並んで写生をしたことを思い出す。自分の絵にまっすぐである。絵にはそれ以外にないという事の大切さを、学んだ。山吉さんの絵こそ、私絵画である。山吉さんに恥じないように、次の絵を描こうと思った。
高橋 ノボル「越後津南の見える風景」
風景を見ている作者の目がある。作者の色がある。塗り方がある。見る場所がある。郷愁的風景とでもいうのだろうか。特に、津南の風景には、心打たれた。良い風景である。見ていたいような場所である。絵の中にたたずんでしまう。この塗り方は少し重い。その重さがどうも気になってきた。色の透明感がいるのではないかと思ってきた。明るくなった色彩を見ながら、この方が、水彩画の透明感の使い方を見つけたら、すごいことになるのではないかと。ただ、それが作者の世界なのかどうか。絵の前を通るたびに考えてしまった。
生駒 ムツ子「今日中に食べて」
生きたサバのあのなまめかしさが、画面にある驚き。まさに新鮮なとれたてのサバなのである。漁港の匂いがする。魚の匂いがする。何故こんなことが出来たのだろうか。全く驚いてしまった。水彩の表現の奥行というものを、改めて教えられた。水彩画はまだ開発途上である。水彩人がやるべきことは、水彩画の可能性を極めることだ。こんなすごいことも水彩画は出来る。
五十嵐 君枝「待つ人」「休日」
良い人物画である。デッサンというものの本物の力を感じる。最近増えているいわゆる巧みな人物画とは一線を画している。上質な絵画性の高い人物画。一筆一筆自分の目で確かめていることが良く分かる。水彩描法に従い、システムで描く最近の人物画が間違いであることを示していると思う。この絵の画格に着目しなければならない。
高橋 恭子 「花の記憶」
素晴らしい色感。水彩表現の幅の広さ。これだけ多様な表現法がまとめられていることが素晴らしい。しかも、自分の描法である。誰かのようだという事がない。ただ花を描くだけでなく、花が線が色になり、混ざり合いながら、一つの世界を作り出している。
相川 恵美子「カシワバアジサイ」
色の自由を確立し始めた。色が形から抜け出て、色彩の融合になる。筆づかいが良いのだろう。絵が変化していることの魅力。とどまらず、確信的に何処までも進んでほしい。この資質がさらに生かされるに違いないと思う。