銭湯絵師の盗作騒動
銭湯絵師の描いた虎の絵が盗作であると騒がれているようだ。宣伝のために意図的に騒動を起こしている匂いを感じるが。もしまねたものが盗作というのならば、銭湯の絵はすべて盗作である。様式に従って描いているのだから、原画があるのは当たり前ではないか。富士に三保の松原をそれらしく描くのが仕事のはずだ。騒動の絵は虎の絵で、元画の方にはどれほどにオリジナリティーがあるものなのだろうか。その元画の人も銭湯絵師なのだろうか。写真で見たところアニメ風イラスト画というようなものだ。確かにこういう絵はまねられたら困るような絵かもしれないが、そもそもこの絵にオリジナリティーがあるとも思えない。昔、東郷青児氏の絵は特許があるので、娘さん以外描くことはできないと聞いたことがある。東郷氏の絵は扇子や菓子箱に印刷されたりしていた。噂話なのか、冗談なのかわからないが、イラスト風作品であることを馬鹿にして芸術作品ではないと言っていたのだろう。東郷氏は絵画を芸術から商品絵画にした先駆者のようなものだ。もし銭湯絵師の絵が問題なら、世間に出回っている絵はすべて盗作のようなものだ。バラを花瓶に挿して描いて、盗作でないと言い切れる絵がどこかにあるだろうか。梅原龍三郎は他の人が似たようなバラの絵が登場しても、盗作とは言わなかった。似たようなバラは様々出現した。日本には大家のバラの絵というジャンルがあるといえるほどだ。効果に取引されるから、画商が作り出した世界だ。本当の盗作は、サインまでまねて梅原作品として売ることだろう。
問題は商品絵画の販売が、新しい時代に入っているという点である。イラスト画が人気であるが、イラスト画的な絵を商品絵画として販売するには、昔からの画商は戸惑うのだろう。たいした違いはないと思うのだが、芸術風の匂いすら消えた作品をどうするかなのだろう。新しい販売ルートが生まれているのではないか。その開店セールが炎上商法なのかもしれない。書道は書写から始まる。墨絵も模写が基本のようだ。描き方を覚える所から、修行である。おおよそ日本の芸道の世界はそういうものだ。その日本の伝統には家元制度がある。免許皆伝で販売許可が出るわけだ。騒ぎになっている人は銭湯絵師に弟子入りして学んでいるようだ。東京芸大に在学している上に、モデルをしているという目立つ人らしい。芸大のモデルと言っても描く方で描かれる方ではない。まして世間の注目を高めるためには、盗作騒動は大いに利用できるだろう。
作品を作る上で、盗作全く問題なしと考えている。その境目などそもそもない。商売ばかり考えるから、盗作と言うことが出てくる。私の絵をどこでどう利用しようが全くかまわない。利用できるものなら、誰にでも利用してもらえればいい。ダリはサインだけした紙を大量に遺族に残したそうだ。この紙にダリのリトグラフを刷れば、作品になるというわけだ。このサインだけの紙の相続税が問題になったらしい。確か刷ったときに相続税が発生すると言うことになった気がする。商品絵画世界のくだらなさを告発したのだと当時は言われたものだが。インターネットでは画集の絵を一枚づつに切り離し、作品として販売している。印刷物にしてはやけに高い。本物と間違って購入する人を待っているのだろう。技術的には本物と判別ができないほどの複製が作れる技術が確立した。モナリザが世界に何千枚も存在しうる。私は50年前に絵を描き始めたときに、そういう時代が来ることを予測した。もし、芸術として絵画を描くつもりであれば、その前提で制作しなければだめだと考えてきた。技術で見せるような絵画は芸術として存在しなくなると考えた。機械ならもっとうまく描く。
芸術としての絵画は、自分という人間にどこまで向かいあえるかと言うことだ。できた作品が売れそうかどうかと言うことは、商品としての問題で、芸術を志すものには関係のないことだ。絵画を生活の糧にすると言うことは別段間違ってはいないが。芸術を飯の種にしようという発想は間違っている。商品芸術が行き過ぎた結果、芸術というあり方が狂った。若い人が絵を描いて食べてゆくために、炎上商法までしたくなる。若い内は親のすねをかじり、年をとったら子供のすねをかじる。これが絵描きの生き方だと言った人がいる。どんな生き方でもかまわないが、香具師が商売ものをバッタモンであることを忘れたらだめだ。最近はコンピューターゲームの職業が登場した。お金になるから、大いに騒いでいるが、何の意味もない。生きると言うことは大切にしなければならない。一時も無駄にはできない。絵を描いているとそれほどにやりがいがある。69歳になるが、昨日より今日の方が進んでいるような気になる。昨日はだめだったが。ブラインドタッチで今文章は書いている。どのように指を使っているかよくわからない。絵も同じである。ブラインドタッチである。どう描いているかはわからない。手が動いてゆく。目にしたがって、脳の動きに従って、手が動く。一日絵を描く充実。それ以外に何もない。