ボクシング連盟会長で分かったこと
ボクシング連盟の会長の山根氏が連日テレビを賑やかにしている。麻生大臣風に言えば、キャラが立っている。これほど前近代的な人物がボクシングの世界に君臨できたのか、理由を考えて置く必要がある。翻って考えれば、自分の周りの組織もほぼボクシング協会が多い気がする。これはこの時代の特徴と考えるべきだ。時代錯誤の人だからこそ、忖度社会の申し子になれたのだろう。仮面を脱いだ安倍晋三氏のような人だと見える。暴力団に関係する人間がアマチアスポーツ組織の終身会長という聞きなれない立場というのだから、現代社会特有の歪みが肥大化してきている。山根氏によると、スポーツの世界はどこだってこういうものだそうだ。いや、スポーツ界に限らない。価値観が失われた時代、おもねる人間が、名誉とか、お金とかに群がっておかしな組織をつくる。私たちはこれほどひどい社会に生きているという事を、見せつけられた。こういう社会にしたのは日本人全員の責任である。
不思議な正義がテレビ報道の世界にはある。このテレビ野次馬世界の正義心のようなものが、山根会長に対して、総理大臣には言えないうっぷん晴らしとして爆発した。暴力団関係者との交流は即座に除名される根拠となると力んでいる。そうであるなら内部告発がある前に、報道機関が調査報道をすべきだったのだ。今もまだ、独裁者が君臨する組織がいくらでもあるはずだ。報道機関内部にも似たようなところもあるはずだ。日大アメフト部。アマチアレスリング協会。以前柔道でもあった。相撲に関係した日大の理事長のこともある。力で威圧し圧倒する訓練を積んだ人たち。相手に負けてはならないという精神が訓練され続ける。その結果従う人間が出来上がってしまうのではなかろうか。武士道というものがそもそもそういうものだろう。自分より上の存在を作り、その為に犠牲になる自分というものを美化し讃える。最も困るのがアベ政権のがんじがらめの支配構造であろう。政治家も確かに耐える訓練を積んだ人だ。有権者の前では鉄面皮仮面をかぶり続けている人が多い。
終身会長などという不思議な役職の独裁者の支配を許してしまうことが、なぜ起きてしまうのか。こういうゆがんだ組織が、この時代に出来上がる理由を考えるべきだ。昔からそうだったのではない。時代が年々悪くなっている。ボクシング協会の最悪の組織構成に何故、補助金を出す側が気付かないのだ。官僚たちもそういう中に生きているからわからなくなっている。相次ぐ官僚の忖度腐敗を見ればよく分かる。絵の団体などでも似たようなことになりがちである。たぶん日本的組織の腐った問題なのだろう。自分が優遇されたいから、上ばかり見ておもねるのだ。私は上も下もないという考えだから、絵の団体から退去勧告を受けた。アベ忖度政治を直視すべきだ。多くの悪行がばれても、自民党の党内から批判が出ない。自民党内はどうなっているのかと言えば、ボクシング協会以上に上ばかり見ている首の硬直した雁首が増えた。干されるのが怖いから、審判は奈良判定という忖度までしてしまう。これが安倍3選の道筋だ。自民党終身総裁という事になるのだろうか。「総裁選 モノ言えば唇寒し 雁首の上目」
今甲子園で高校野球が行われている。暑い中どうだこうだと言われている。猛暑だから出ないという自由な判断ができる社会が良い。スポーツを身体を壊してまでやるのは本末転倒でおかしいという学校があっていい。おかしいと言いながら、出場するからダメなのだ。高校野球は見事なものだが、その背景におかしな高校が山ほどある気がしてならない。勝利至上主義、高校の経営の為の選手強化スカウト。スポーツ関係者と経済や名誉が結びつくと、妙な人格を肥大化させる。独りよがりになりやすい。他人のことなど眼中にない人間でなければ強くなれないとされる世界だからだ。強ければ少々のことは構わないという世界になる。教育がまともにできないのは、価値観が勝利に直結しているからだ。ダメでもいいじゃん。という教育であってもらいたい。弱くたってボクシングをしていいのだ。人と較べる必要は全くない。