防衛大学校の下級生制裁
防衛大学校で下級生を指導と称して、徹底して苛め抜く慣習が暴露された。軍隊につきもののいじめだ。旧日本軍が大変な制裁の世界だったことは、よく聞いている。相撲部屋で問題になる可愛がりと似たような構造である。悪い環境では悪い慣習がはびこる。防衛大学校という組織が、良い環境になる訳がない。ここで学んでいるのは暴力主義である。暴力主義を正当化してしまえば、弱い者いじめで憂さ晴らしする人間が現れるのが、当然といえば当然である。昔の軍隊式という悪習慣であろう。暴力主義というものは普通の人間性があれば、耐えられない世界だから、人間性を失う事を良しとすることになる。正義の為であれば、国の為であれば、人殺しも正しい行為になるという理屈である。こういう馬鹿げた世界では倫理が崩壊する。強いという事が正義になれば、弱い者いじめは気晴らしの様に行われるようになる。この制裁の慣習は裁判によって、初めて表面化した。2年前にアンケート調査で事実は把握されていたにもかかわらず、公表されないできた事実だ。
不都合な真実という奴である。何十年となく慣習化していたと考えた方がいい。こういうところで誕生した人間が今の防衛省の幹部なのだ。たぶん苛め抜いた方が幹部になったのだろう。いじめられた人間は自衛隊には就職しないだろう。そうした自衛隊幹部がいじめられるような人間を蔑んでいる世界なのだ。これが防衛省の、軍服組と言われる人たちの実態と考えた方がいい。アンケートは2014年8月、当時の在校生約1800人を対象に聞き取りなどで実施したが、結果は公表されなかった。暴行を受けた元学生が当時の上級生らと国に損害賠償を求めて福岡地裁に提訴した訴訟で、弁護団が学年ごとに回答結果をまとめた文書を情報公開請求で入手した。その内容はひどいもので、半分以上の人間がこの制裁の対象になり、また制裁をしていた経験があるというのだ。この事実が何故隠ぺいされたのか。この隠ぺい体質こそ自衛隊らしい暴力主義の姿だ。
自衛隊幹部がいじめを行ってきた経験から、このひどい環境を教育の一環として必要悪と考えていたのではないか。相撲部屋がそんなことを言ったところで、強くなれなければ始まらないと、暴力が淘汰できないでいる。こうした悪習というものは、麻薬性がある。いったんこういうところに憂さ晴らしが持って行かれると、年々ひどいことになってゆく。悪い職場では似たようなことが起こる。刑務所の中の世界には、牢名主がいて陰湿ないじめがあると言われる。昔の郵便局でもひどいことがあった。警察官の世界も似たようなことが起きている。武力が嫌という以上に、軍隊等におけるこうしたいじめ世界の方がさらに嫌だ。人間性を最も抑圧する世界だ。たぶん政治家の世界も似たようなことがあるのだと思う。先日、たばこの喫煙問題に対して、国会で意見を述べているガン患者の参考人に対して、「いい加減にしろ。」とやじった自民党議員がいた。この体質である。弱者をいじめることが悪いことだという自覚のない、偉い先生になっている。たぶんこういう議員は秘書に対して、ひどいいじめをしているのではないだろうか。
暴力主義を人間は乗り越えなければならない。武力の強いほうが勝利するというような世界を克服しなければ、人間の世界とは言えない。人間の乗り越えなければならない課題である。平和憲法の示す方角である。強いものも、弱いものも同じ人権が存在する。経済力があろうがなかろうが、同等の尊厳がある。これは理想主義ではない。人間が目指さなければならない、目標である。自衛隊があるということは、あくまで必要悪なのだ。なければその方がいいのだ。自衛隊が災害の時にありがたい存在であるという意味と違うのだ。自衛隊を警察予備隊に戻し、災害救助を種目的なものにすれば、防衛大学校のようないじめもなくなる。正しい目的に向かえば、いずれ悪習はなくなる。私はこういう上下関係のある世界が嫌だから、一人で生きて来たともいえる。人から学ぶという事が出来ない理由はここにある。絵を描くことや農業であれば、上下関係はない。自分の絵は自分の問題である。自分の畑は自分の責任の範囲だ。作物が出来なければ笑われるが、いじめに遭う訳ではない。自給農業者になったのかもしれない。そして、気の合う友人とだけ付き合うという世界である。これから世界は悪くなる。悪くなれば、競争主義は激しくなる。そして、いじめも横行する。いよいよ、気の合う友人と良い世界に閉じこもるしかないのか。