財務省の公文書書き換え
財務省で公文書が書き替えられたというのだ。まさかそんなことはあり得ないと思う。あり得ないようなことが何故疑われているのか。財務省という官僚の中でも優秀な人が集まっていると言われる省庁でそんなことがあり得るのだろうか。優秀な人というのは時に何を考えるかわからないところがあるから、しでかしたのかもしれない。佐川元局長が詰め腹を切らされた。財務省の担当職員が自殺をしたという。もし、こんなバカげたことが起きたとすれば、これはもう世も末である。公文書が省庁において都合よく書き換えられてしまうとすれば、行政というものの中立性が失われる。つまり、政治が成り立たなくなる。こんなことは疑われるだけで大問題である。公文書が疑われるような背景はある。財務省がアベ政権を忖度したことである。長期政権の危険な兆候である。誰でも認めざる得ないアベ政権の腐敗の事実である。総理大臣の夫人が名誉校長になり、様々な角度から、忖度が働くように仕組まれた事件である。確かに犯罪にはならないかもしれないが、忖度がなかった可能性の方がはるかに低い。それは日本がそういう社会だからだ。
誰もが体験していることだ。角度を変えてみれば、思いやり事件だ。あるいはおもてなし事件だ。日本人の良き習慣を逆手に取った事件だ。想像だが、善意の人であるアキエ総理大臣夫人は、良いと思ったことには大胆である。私のかかわったことでも似たようなことがあった。東日本大震災後の動物の保護にかかわり、アキエ夫人の力添えという話があった。結局は元暴力団員という事で話は成立しなかったようだ。そもそも山口組の幹部であったという事を隠してもいないひとである。その人が素晴らしい行動力と統率力で、福島の放射能汚染地に取り残された動物たちを救出していたのだ。問題行動ではあるが、悲惨な状況に取り残された犬や猫たちを救うにはそれしかなかった。すぐに帰れると思いつないだまま、置いてきた犬が沢山いたのだ。1ヶ月も飲まず食わずでどうして生きていたかという犬たちがいたのだ。何とか命だけは繋ぐように、助けてくれた人がどこかにいたに違いない。この時にアキエ夫人は手を差し伸べた。それで忖度してもらえたことが起きた。例えば会えない人に会うことができた。
ファーストレディーの大活躍は女性活躍社会の一端という事でいいのだろうか。公務であるのか。公務でないか。様々議論はされたがこのことさえ定まらない。日本社会の特殊性が、森友詐欺にあう原因になったことは確かである。これが総理大臣ではなく、天皇であればどれほど忖度されることであろうか。天皇家の方々の人格は素晴らしいと思う。だから、何とか今の制度で収まっているのだろう。平成天皇は平和主義者である。この態度をけしからんとする右翼の人も多々ある。天皇が勝手に象徴の役割を作り出しておいて、老齢になり荷が重いから譲位するという事は許されないことだという意見が出ていた。象徴天皇が平和の行動をされることが、日本の再軍備化の歯止めになっているという訳だ。ところが、日本社会には天皇に対する忖度は格別なものがある。その結果天皇に対して忖度して、そういう右翼の声も抑えられている。
忖度で政治や行政の行為のかなりの部分が動いている。在ってはならないことなのだが、軋みをスムースにする潤滑油的な要素もある。これが難しいところだ。下手をするとアキエ夫人事件が起こる。本来なら昭江夫人の国会喚問は当然のことである。しかし、世論は総理大臣夫人はまあ仕方がないのではないか。という空気だろう。世間は忖度してそれはさすがに止すべきだという空気を作る。財務省は忖度はしたが、その証拠は廃棄した。佐川氏はそのように忖度証言を死守して、国税庁長官に昇進した。そして、今度は責任を取らされた。良く廃棄した。良く国会で泥を吐かなかった。良く忖度したという身分制度。このような阿吽の呼吸で成り立っている日本の政治と官僚の世界。たぶん多くの人がそうだろうと、それで上手く回っている面もあるから、仕方がないのだと思っている。韓国のように何でも追及するのもどうかな。と感じている人が多いいのだろう。だから、そこに胡坐をかき、ますます、増長するアベ政権。