日本の人口減少
日本は人口減少が急速に進んでいる。平均寿命はまだ伸びている。戦争や人口に影響するほどの災害もなかった。それでも自然現象のように人口減少が進んでいる。少子化現象が極端化してきている。少子化は社会の空気を反映して起きている。このことを日本の不幸として、何とか食い止めねばというのが一般的な風潮ではなかろうか。人口減少は日本人の不安意識の反映で、実に健全な反応ということだ。今の日本で人口が増えるとしたらそれこそ恐ろしい。生き物のとしての人間は自分の子供が幸せな生涯を送れないだろうと思えば、子孫を残さない。日本の方角が危ういがために、子供が減ってきている。国は少子化対策とか、女性活躍社会とか、言いながらも待機児童すら一向に減らすことができないでいる。こんなことはたちどころに解決するくらいの、姿勢がなければだれも政府など信用するはずもない。稲作に補助金がずいぶん投入されたが、結局はそういう事では稲作の問題は解決されなかった。
子供世帯に補助金を支給するも悪いことではない。そんなことより、補助金などなくても子供が幸せになるだろう未来社会が見えるかどうかである。それはもちろんアベ政権だけの問題ではない。世界中がおかしな方向に動き始めている。この事態に対して、和え政権はむしろ飲み込まれるかのような、愚かなかじ取りをしている。これでは子供が増えるようなことになる訳がない。大きな見方で言えば、資本主義による競争主義の問題である。競争が教育でも、スポーツでも善として奨励されている。競争に勝つことが資本が利益を生むことになる。人間は競争に勝てる能力があるものが、価値あるものとされ。その評価が日に日に決定的なものに変わりつつある。売れる絵を描いて居れば価値ある人間で、売れない絵を描いているような輩は人間の屑という事になる。親が昨日まで子供がやるのを止めさせたいと考えた、ゲームの世界に1億円プレーヤーが現れれば、急に顔色が変わる。このままでは囲碁や将棋のように国民栄誉賞のゲーマーという人も現れるのだろう。
このお金が人間の幸せであるという、資本主義の考え方がある到達点まで来たのだ。到達点は限界点でもある。国家資本主義といっても良い形の国づくりが変わってゆく。アメリカも、中国も、競争に勝利するために国と企業が一体になり、国益と企業利益を連動しようとしている。そうなれば、強い国はより強くなり、弱い国は虐げられることにならざる得ない。いま日本は弱い方の国に入りかかっている。資本主義を抜け出れない、この状況では子供が増えてくるはずがない。アベ政権はアベノミクスは買いだと馬鹿話を叫んだが。アベ政権は明からに売りだ。このままでは日本自体が投げ売りになりかねない。単純なことだ。お金が人間の幸せとは違うという、ごく当たり前の倫理に戻ることだ。人間の幸せが競争に勝つという事ではなく、とっもに暮らす人間と共感を持てるという事だとおもう。価値を共有できる人間たちと、共に未来を切り開ける。ここに人間の幸せがあるのではないだろうか。
社会全体のことはひとまず置いておくしかない。身近なところに同じ目標を持てる仲間を作ることだ。私には水彩人とあしがら農の会がある。水彩人の仲間の間では、互いの絵を尊重し、切磋琢磨している。何も誰かに勝とうとか、負けるとかいう世界ではない。絵を描くという人間としての深い思いがあれば、誰も同じであるという立脚点で話ができる。あしがら農の会では地場・旬・自給の緩やかな連帯である。自給の田んぼを、励まし合いながらやり遂げる。これは何とも厳しいことだが、実に喜びが湧いてくる。その喜びは仲間とともに成し遂げることができたという事で倍増する。誰もが、身近にそういう仲間を探せれば、お金の価値から一歩離れることができる。社会には期待薄ではあるが、自分の周りが変われば、いつかその響きが波及していくかもしれない。そう思い日々を生きてゆきたい。