生きずらい世界に
生きずらい世界への入り口にいる。もう片足ぐらいは入っているようだ。気付いた時にはどっぷりとつかっているというものだ。嫌なことだが、歴史という力学はそんな繰り返しを示している。自分は幸運に良い時代に生きることができたようだ。戦争のはざまに人生があった。希望のある時代に生きることができた。希望は残念ながら、砕け散りそうだ。焦げ臭いにおいのする世界の足音が響き始めた。何がいけなかったのかという自責の念と、同時に大き流れというものは誰にも止められないものだという諦めの思いもある。人間という動物が、競争心を克服できないということが良き事であり、そして悲惨に至る事でもあるようだ。あらゆる動物にそれなりの競争心はある訳で、それが生存競争であり、その種が生き残ってきた要因でもある。今あるすべてのものが、競争に勝利した生き物であろう。勝つものがあれば、敗れて消えてゆくものがある。そして新たに誕生する種もある。生存競争を制御できないのだろうか。
生きずらいと感ずることは、競争の激化してきたという事なのだろう。人間という生きものは知能が肥大化して、知能で競争する生物になった。知能が肥大化し過ぎて生存の危機にまで到達したのではないか。人類の変化の速度はあまりに加速度的である。知能を他の存在を打ち負かすことに集中させている。このまま行けば競争の末に全滅して終わることになる不安だ。それを食い止める叡智があるとすれば、能力競争をどのようにコントロールできるかだ。現状の世界は自分さえ良ければ、他者はどうなろうとかまいやしないという、滅びの道をひたすら進め始めている。第2次世界大戦の経験で次に戦争をすれば、人類は破滅するだろうという思いから、一国主義の危機を回避してきたのが人類の希望だった。EUの誕生など、希望が少しづつ広がったのかと思えた。その岐路に今ある。
軍事競争以上に経済競争が激化した。グローバル企業が世界を支配するようになった。国家以上の経済力の企業というものが登場した。企業が国家に勝利し、操作する世界。国家でも競争に負けたものは能力不足という事で、衰退せざる得ない深刻な状況を迎えている。その結果、テロが頻発するようになっているのだろう。良くなるために頑張ることが、全体の生存を脅かす。北朝鮮とアメリカの対立はまさにその結果なのだろう。アメリカファーストを認めるという事は、北朝鮮ファーストを認めるという事になる。何故、北朝鮮ファーストが許されないかの説得力はない。アメリカがファーストを捨てるという前提があって、北朝鮮の核ミサイル開発が許されないことになる。世界最強の国アメリカが自分だけ良ければ構いやしないと断言してしまえば、北朝鮮が何をやろうが構いやしないという事になってしまう。それでは人類は滅びに道に入るという事を、気づかないアメリカという国の愚劣さ。正直者トランプ氏だから表面化しただけのことだ。
今の若者たちには本当に申し訳の立たない状況を残すことになった。生き抜くのは極めてつらいことになりそうだ。私はどんなに長生きしてもせいぜい、2050年のという100歳の老人が珍しくないというところまでだろう。それまでに次の世界戦争がありそうな雲行きである。若者たちは競争に乗り出す生き方をすべきなのか。競争を降りてしまい、個人的な生き方を模索すべきなのか。迷わざる得ない時代に入っている。日本ではアベ政権がまさにアベファーストの解散をやろうとしている。これほどひどい独善的な解散を、つまり日本の事や国民の事より、アベ一族の生き残りのために解散をする独善。安倍氏は深く頭を下げ謝罪したのではなかったのか。そして、丁寧な説明をすると公式に発表したのだ。ところが、説明をしないままアベファースト・解散である。ここで国民が投票行為で歯止めをかけなければ、この国のソフト独裁が保証されたことになる。