現場で描くこと、家で描くこと

   

昨日描き始めて、家の見えるところにある絵。この後どうなるのか。

絵は現場の写生で描きはじめて、家でその先を続ける。そうと決めている訳ではないが、大抵はそうなる。油彩画をやっていたころは、風景を現場で描くという事は全くなかった。絵を描くのは部屋の中で描くだけだった。何故そうなったのかは分からないが、幼稚園の頃から、お絵かきは部屋の中でやるものだったからではないかと思う。子供の頃から絵を描くことが好きだった。小学校では年に1回ぐらいは写生会があったが、その他は部屋の中で描い絵を描いて居た。中学・高校・大学とやはり部屋の中で描いて居た。フランスの美術学校に行ってもそうだった。そういう習慣の癖がついて、絵は家の中で作りあげるものになった。教師をやって分かったのだが、写生を外でやる授業は事故が多く大変で、そう簡単には準備できなかった。野外で描いて見ようと思ったのは、山北の山中に越してからだ。39歳の時だ。絵を作ることが嫌になっていたので、初めて風景というものを描いてみた。そうしたら、油彩画では日本の色彩は出ないと感じた。それで初めて水彩画をやった。

それから油彩画はほとんど描いたことがない。油彩画では色やら調子が日本の風景には合わないように感じる。日本の湿気を含んだ風景は空気に溶け込んでいるように実態が薄く感じられる。何年か描いている内に、風景のある空間の方を描いて居るような感じになった。地面に鏡があって、空が映っているというような感じである。だから風景を描いていると言いながらも、空に写っている景色を描いて居るような感じだ。目の前に確かに見ているのだが、空の反映を描いて居るような感触がある。これは先日の絵を語る会で、笹村は空を狭く描くと松波さんに言われて、反射的にそのことに気づいた。そのものに迫ってゆくというより、そのあたりに漂うものを見ようとしている。実態の怪しげな存在を描くようになって、油彩画の質量のある物質の調子が合わなくなったともいえる。

昔から春になると時々描きたくなる家のそばの風景がある。大きな急坂の風景である。谷の南斜面に畑や家が点在している。春になると桃や桜が咲いて晴れやかな空気になる。その谷間に広がる空間が、空間として広がるのだ。何かそこだけ濃密な空間が生まれる。たぶんそれが、ムーブマンと呼ばれるものによるのだ。空間の持つ動きのことだ。景色というものは動きを感じさせる場がある。その景色が出来ている骨格のようなものがあり、その組み立てによって力関係が生じる。力が働く方向が見ている内にとらえられてくる。この動きを抑えることが画面を自分の空間にするにはとても重要なものになる。現場ではひたすら目の前にある空間を色彩や調子を見ながら大きな動きの中に収めようとしている。そこでは自分は絵を発見する機械になる。自分の意思のようなものは何もない。腕が自動的に目の前の何かをとらえてゆくことを邪魔しないように、受動的な心持で目の前の世界よ画面に来いと、願いながら自分の自由な反応を、意思が邪魔しないようにしている。

そして、家に戻り画面をいつも見えるところに置いておく。ある時画面が自分に呼び掛ける。幻覚のようなこうすればこうなる、というような視覚の変化が起こる。画面にある世界がこうしてほしいと言っているような気がし出す。それに従う。家では今度は画面に従う機械になる。別段何処へ進めようというようなわけではない。自分を引き付けた、里山の空間が画面の上に立ち現れないかという気持ちだけだ。何をどうすればというような考えもない。ただ画面の呼びかけに答えようというような、自分の描く仕組みや反応に任せる。そして絵からの呼びかけが途絶える。そしてまた置いておき呼びかけが来るのかどうか、見えるところに置いてある。そのまま何もないまま終わることもままある。思い切ってその絵を持って現場に戻ることも良くある。それでもそのまま格納庫にしまうものがほとんどである。こうして出来上がったのか、中途なのかよく分からない作品がたぶん1000枚近くあるのではないか。時にはたまにその格納庫を再点検する。すると呼ばれる作品と捨てるべき作品が出てくる。それが家での制作である。

 - 水彩画