市民と行政の役割分担
整備が進んだ、舟原の溜池
過疎地域に行くと、そこに暮らす人たちによって維持されている地域というものがいまでも実感される。東京に暮らしていたころは、火事は消防署が消してくれるもので、自分たちで消さなければならないという意識はなかった。しかし、都市以外の地域では火災は地域の人自身が対応するものだという事が分かる。地域の数少ない若い人たちが、ボランティアに近い形で、火災に対応してくれている。しかし、そうした消防団に入る人も減少している。入りたくとも入る余裕のない人の方が多くなっている。消防団に入っていれば、仕事中であっても携帯電話に、緊急連絡があり駆けつけるそうだ。消防団だけでない。地域には民生員のような支え合うことで成り立っている仕事がある。地域を思う気持ちがあっても、それができない事情の人の方が多いいだろう。だから、徐々に都会のように、それを税金で賄うようになるのだろう。ところが行政には十分の費用はない。
ボランティア的に地域の維持のための仕事を担う人と、全く地域の為の仕事にかかわらない人が、同じに暮らしている。地域にどうしても必要な仕事を、見直さなければならない。運動会、ハイキング、文化祭、敬老会、夏祭り、神社の祭礼、ごみ置き場、川や水路の管理。必要とするのであれば、地域の共有意識はどのように考えればいいのだろうか。水路管理は、川掃除は、必要だとすれば、どこまでを地域住民の仕事にすればよいのだろうか。続けることが限界にきていると感じる。江戸時代溜池が作られ、維持されてきたのは、稲作農家の経済の為である。自分の暮らしを維持するためには溜池が必要だった。ところが、田んぼが無くなれば、溜池を維持する人は居なくなる。水路の整備管理も誰もしなくなる。当たり前のことだ。それでも誰かが行わなくては、地域は荒れてゆき暮らせなくなる。溜池を残すべきか、荒れ地にするのかを、所有者である小田原市と地域で判断するのだろう。
先日も、舟原の日陰で水路が溢れているのですぐ来てくれという連絡があった。慌てて直しに行ったのだが、簡単には治らなかった。結局市役所に相談に行ったのだが、20年前の工事なのに暗渠部分の構造が分からない。役所には設計図面もない。結局農政課の職員が作業をしたそうだ。以前同様のことが欠ノ上であった時には、暗渠部分の崩壊は結局わからずじまいで、根本的な改修工事は行わないで埋め戻した。これが稲作が暮らしの中心にあった時代であれば、出来ないで済ますなどという訳にはいかなかっただろう。幸いというか、不幸にもというか田んぼが激減しているから、水が少々どこかへ行ってしまっても構わないで済まされている。しかし水路は地中にあるのだから、大きな陥没などに繋がらないとも限らない。昨日は雨の中水路掃除をやった。
地域の暮らしが田んぼや畑や山仕事という形で繋がっていた時代の関係と、都会や海外にまで勤務するような人たちで、一緒に地域に暮らしている中で、地域を維持する新しい形を見つけなければならない。そこに暮らす人人が担うべき役割は、行政の役割は何かである。水路で考えれば、行政は残すべき水路を住民が決める調整を行う必要がある。そして水路の図面の管理は行う。法的な手続きは行政が行う。実際の日常の維持管理は地域の人が行う。地域の管理の手におえないような場合の対応を決める。地域で行うとしてその経費はどのように分担すればいいか。そういう方向性を決めてゆく、調整役やひな形の決まりを作るのも行政の仕事だろう。そして利用者が居なくなった場合は、閉鎖を含め地域で結論を出す。そうした調整と後始末も行政の担当ではなかろうか。そして残すべきと行政も加わり決めたものに関しては、経費は公共負担となる。いずれ、地位の暮らし方が農業から離れるという事は、新しい枠組みがどうしても必要だろう。今は新しい地域の形が模索されている時なのだろう。