国連平和維持活動
国連の平和維持活動とは、紛争地帯に平和を作り出す活動なのだろう。それなら日本らしい平和憲法にふさわしい後方支援の活動があるはずだ。軍隊を派兵するのは日本らしい平和活動とは言えない。平和を作り出すためには、確かに当面の軍事衝突を緩和する国連の介入もある。しかし、それだけで平和がうまれる訳ではない。紛争や武力衝突が起きた、根本原因が解決されない限り、紛争は再燃するだろう。スーダンで起きた戦争の原因は、今世界で起きている第3次世界大戦の一つである。原因は3つある。1、イスラム教とキリスト教との軋轢。2、石油をめぐる利権の対立。3、貧困と格差・分断の拡大。こうしたなかで、スーダンでイスラム原理主義国家が独立した。そのことに反発したキリスト教徒が中心の南スーダンでは独立運動がおこり、独立投票が行われ南スーダンとして独立する。しかし、独立はしたものの、南スーダン自体の紛争の火種はそのままある。
キール大統領が昨年7月マシャール前副大統領を解任したことに端を発し、政府軍と反政府軍が戦闘を開始した。この両者の戦いが南スーダン国内に大変な虐殺を起こすことになっている。しかも、南北のスーダンの対立も収まったわけではない。国境の確定、石油利権、宗教対立が残り、深刻な分断が起こり、紛争に繋がっている。確かに人道上の問題は深刻であるから、国連軍が間に割って入ることは一つの手立てであるが、そのことが3つの問題の解決に繋がる訳ではない。根本の解決には程遠いい事態である。それは、今まで日本が参加した国連平和維持活動はどれも同じで、一時しのぎのことに過ぎな買ったことがその後の経過を見ればわかる。アフガニスタンではペシャワールの会は根本解決のために水路を引く活動を行っている。紛争の根本に生活の破壊があるからだ。水を引き豊かな大地が取り戻せれば、貧困も病気も軽減される。そうした地道な生活再建の活動によって、アフガニスタンに平和を取り戻す活動である。日本の行うべき平和維持活動とは、そういうものではないだろうか。
喧嘩に割って入ることも無用とは言わないが、日本らしいやり方とは言えない。住民が暮らしを取り戻せる環境を地道に作り出す。これにわずかでも手を貸す活動。その国の人たちが、自力で国を作り出す力に手助けをする。今人道支援を必要としている最中に、そんな悠長なことではと思われるかもしれないが、いずれにしても残念ながら、その国の人が解決に向かわない限り、解決など出来ないと考えなくてはならない。あくまで平和の方角へ歩みだす、一歩に力を貸すだけではなかろうか。日本には日本らしい平和の貢献方法がある。これをやろうとしないで、国連平和維持軍に日本軍を派兵するという事は、日本憲法に示された平和主義を、アベ政権が信じていないという事に起因する。憲法に従う義務がありながら、その憲法を信じず、改憲を目指す勢力が現政権を作っている。その政権は選挙で国民が選んでいる。つまり、3分の2に近い有権者が日本国憲法の平和主義を、軽んじている事態である。
平和外交をやりもしないで、無意味と断言する。中国を敵視し紛争の火種を自分から起こし、日本の軍国化に躍起となる。これが現政権の本質である。中国を敵視している間に、北朝鮮というとんでもない国が核ミサイルを保有しつつある。現状でも核爆弾を日本に打ち込める状況になりつつあるのだろう。それは、韓国、中国でも極めて深刻な事態との認識のようだ。しかし、誰もこの冒険主義国家北朝鮮を押しとどめることは出来ない。いくら軍事的な対立を深めたところで、この国の冒険主義は油を注がれるだけだろう。戦争を食い止めるための抑止力は、軍事力では効果がないという事だ。中国という武力を急速に強めている国でも、北朝鮮の暴走を止めることが出来ず、いまや日本に次ぐ、危険な国家と考えている。武力に対抗することが抑止力とは言えなくなっている。