風景画と現場主義
水彩人の仲間の松波照慶さんが、ブログで水彩画の現場主義のことを書いている。彼は学生時代博士と言われたそうで、とても論理的に絵のことを考えることができる人だ。絵を描くうえで、彼の言葉によって思考が展開されたことが度々ある。彼の書いて居る「水彩画を描く人に現場主義の人がいる。」という言葉の中に、私も入っていると思う。そして彼のいう絵画というものは表現であって、現場を移しとるようなものではない。現場を描いて居れば、次々に新しい発見があり、その発見をたどることになり、自分の表現する絵画にはならないのではないかという、発議である。ここには絵を描くうえで大切なことが含まれている。自分なりに考えてみる必要があると考えた。アトリエに岩を持ち込み描く例を挙げている。これは中国の画論にあることだ。岩を描くことが出来れば宇宙を描くことができるという考えである。岩を風景に見立てて描写し、自然全体を表す訓練をした。西洋画における人体が中国画では岩なのだ。
雪舟が中国での絵画留学から帰国して、天橋立図を直接風景を見て描いたことが風景画の日本の伝統の始まりと言われている。確かに天橋立図は、現場で描いたように描写されている。その場所に行ってみて私も描いてみたことがある。雪舟の見たものと私の目に映った風景はよく似ていた。中国で風景を見て描くという描き方がなかったとしたら、日本の風景の中に雪舟は、中国で学んだ絵画観と峻別する何か重要なものを発見したのではないか。岩を描いて宇宙に繋がるという感覚では、日本の人の作り上げた水土には迫れない。中国で絵を学び、中国の目になろうとした雪舟が、結局のところ絵画精神では日本の水土であり、中国に対する違和感がある。日本の風景に自分の精神が心地よく反応することに、感動したのではないだろうか。それで、風景を見て写すという新しい描き方を発見したのではないか。私はフランスで学んだものでは、日本の風景を描くことは出来なかった。
風景を直接見て描くという事は、風景を写そうという事ではない。上の写真と絵は、初めてこの場所に行って絵を描いた時のものだ。その後8枚の絵を描いた。絵の方はその後いろいろ描き進んで、今はまた違う絵になっている。写真を見ても美しい場所だということはよく分かる。しかし、絵では現場を写している訳でないこともわかる。その場所に反応して、自分の見ている里山の世界観を描いているのだと思う。たまたま田んぼの仲間が、私の家の麦刈りに来てくれて、置いてあった絵を見てくれた。田んぼの絵を見て、そうだあそこが私の担当の3番田んぼだ。などと言われていた。その絵は現場で見てみれば、情景とは違っていて戸惑う事だろう。絵として見た時に、その現場より私の絵の方が頭の中にある風景に近いのかもしれない。人によっては近いというより直結するのではないかと思う。あんな感じと現実とは違う。写真で写る姿は、確かにそこではあるが、イメージとしてそこに感じているものとはまるで違うと考えた方が良い。
現場で絵を描くという事は、確かにその場での反応である。次々に見えているものは変化してゆく。その中から、自分の里山の世界観に照らし合わせて、探って行く。ただ、その場に見つけた里山の風景に素直になって写し取ろうとしているだけである。そこでは自分のこうしたいとか、こんなものが絵であるというようなものを忘れるようにしている。離れて自分はただの器になっている。私という器にはその風景を描く前提として、田んぼの耕作というものがある。何十年か耕作したその感触に従おうとする。そのように意識して描くようになったのは、原発事故以後のことだ。田植え前と田植え後では、田んぼは違うものになる。この身体が感じた、田んぼの水土の感触が、絵に反映するようでありたいと考えている。田んぼの絵がいいと思えるまで25年がかかった。田んぼをしているときは絵を描くような気持で、田んぼを25年してきた。そして、やっと田んぼをそのまま描く気になった。それが絵なのかどうかわからないが、私絵画だと思っている。