春の下田を描く

   

下田須崎半島の丘の上の畑の庭を描いているところ

下田に絵を描きに来ている。家から2時間30分ほどかかる。庭の畑を描きたいと思い来た。下田でも、石垣島でも海ではなく、畑を描きたい。下田では庭の畑である。大型の家庭菜園のようなものがある。朝市向けなのか、民宿の畑なのか。家庭にしては少し大きい畑があり、そこに様々な野菜が作られている。野菜の中には花などもあって、美しい菜園である。と言ってそれが気取ったハーブガーデンというよう西洋風ではなく、ごく当たり前の昔からの日本の畑である。簡単に言えば、バラではなく菊がある。最近はホームセンターに初めて見る西洋風な草花が並んでいるので、庭の畑もおかしなことになり始めている。小田原では日本庭園風の庭である。畑の庭はない。植木屋さんが槙や松を刈りこんで作る庭である。日本びいきの私でもさすがに困る。家庭にああいう庭を持ち込む感覚はない。お殿様とか、料亭とか豪商の庭。あるいはお寺の庭も好きではない。兼六園を通学で通っていたが、ああいう庭が良いとは少しも思わない。

ホテルの部屋で並べてみているところ。

見たことはないのだが、修学院離宮のような庭。暮らしを突き詰めた理想郷の水度を表す庭というのならいい。広い狭いではない。ただ眺める庭を描きたいとは思わない。やはり畑の庭である。何故か、山のそばに暮らす人は庭の木を、盆栽風に作る傾向がある。何か捻じ曲げたり、刈りこんだりすることで、庭の木になるという意識がある。山の木のままで良いという気持ちにはなりにくいようだ。山が家にまで押し寄せ居ると感じるのだろうか。畑ならいいかと思うが、庭に畑がある農家は案外に少ない。あれば貧乏たらしいと感じるのかもしれない。昔の農家なら庭は作業場である。むしろ収穫物を広げて何でも干した。おばあさんは鳥追いである。生活がある庭だ。自給の庭を作りたいし、描いてみたい。野菜が庭で取れる。野菜というものは日々のものだ。毎日の手入れがこまめにできることが一番である。自給であれば、朝一回りして、味噌汁の具をとると言う位が良い。

 

ここは下田から西伊豆町に抜ける、途中の山の中。吉佐根というところ。谷の奥に自給で暮らしているらしい家を見つけて、描かしてもらった。ここの田畑がすごいのはすべて、手作業というところだ。

下田にはそういう畑の庭がいくつもある。下田の須崎周辺の山の上である。何処も道が狭くてすれ違いもできないので、なかなか描ける場所は難しいのだが、何か所か心づもりがある。今回は少し新しい場所も探すつもりだった。新しい場所を一つ見つけた。別荘地の奥の谷の奥まった場所に、自給で暮らす人がいた。20坪程度の小さな畑や田んぼが20ほど棚になっている。農地に囲まれて暮らしている。まさに手入れで暮らしている。里山の中に自分の暮らしが織り込まれている形。日本自給の暮らし100選があれば選ばれること間違いなし。吉佐根というところには、昔はもっと人がいたのかもしれない。田んぼもそれなりに残っている。人が暮らす場所にはどんなに無理をしても田んぼが作られた。田んぼができるところは家を作るにも良い場所なのだが、家は日陰にあり、田んぼは日向に作る。海までは1キロほどの場所である。人がいたら、暮らしぶりお伺いたいと思ったのだが、誰もいなかった。

 

私も30年前に山の中に開墾に入ったのだが、こういう場所は見つからなかった。東京に通える範囲で探していたので、当然見つからなかった。東京から離れるだけの思いっきりがなかった。美術講師をしながら、何とか自給生活ができないか模索した。どちらが良かったのかはわからないが、その時々の選んだ道だから、山北の山中で精一杯できたのだからまあよかったのだろう。というようなことを思って描いていた。そういう思いを含めて描いていた。絵にそういうものが出て来るまで描く。そいうものが見えるまで描く。田んぼになるだろうところに、今はにんにくが植えられていた。あれだけあれば自給だけではないだろう。「ニンニク畑で涙して」を思い出した。私もあれを読んで、ニンニク栽培を一生懸命やった時期があった。私はその後田んぼをみんなでやることになった。それで小田原に移ることになった。

 

 - 水彩画