農水産物輸出が過去最高

   

農産物輸出が前年比21.8%増の7452億円となり、3年連続で過去最高を更新した。リンゴが134億円で緑茶が101億円。お米が22億円。漁業関係や畜産品が中心で、農業産品では果物や緑茶が大きい。

農水大臣がアメリカにも輸出する予定と発言していたお米は22億円にとどまっている。それでもこれは大変な成果ではある。お米が輸出できたことは、画期的なことではある。22億円分の水田の維持が出来たという事になる。半面輸入量は78万トンある。1haの田んぼで220万円のお米が生産できるとすれば、1000haの田んぼが維持されたことになる。これは小田原市の田んぼ面積の3倍である。かつての日本の田んぼの総面積は350万ヘクタールあった。現在は162万haくらいになっている。近年でも年に1万ヘクタール以上の田んぼの減少はあるとみなければならない。残念ながら1000ha分のお米輸出では、農業政策に影響するというところまでには至らない。

農産物輸出が増えたことは好ましいことではあるが、その原因は生産性が上がり、生産コストが下がった訳ではない。円安が主原因であろう。もう一つはアジア諸国の富裕層の存在である。中国の稲作を見てきたが、水が死に水である。停滞した水で作る田んぼではよい稲作は難しい。稲作のお米は山からの絞り水が望ましい。小田原でも、箱根山ろくの久野のお米のほうが酒匂川流域の平野部よりおいしい。魚沼産のお米がおいしいのはその地勢に由来する。つまり、日本の治水はおいしいお米と繋がっている。山が豊かになることで山から絞り水は、落ち葉堆肥の絞り水と言える。頻出が良く、輸出できる国際競争力のあるお米は、むしろ栽培困難地のお米なのだ。日本で格安のお米を作ることは、労働単価と土地単価からみて、相当に難しい。だから、企業農業が登場して、国際競争力のある米作りを目指すなら、必ず日本から出てゆきベトナムあたりで生産する。町工場まで海外進出したのと同じことだ。

では国際競争力のある魚沼産の最高品質の米作りを誰がやれるのかである。大型化も、機械化も限界がある、中山間地の稲作である。企業的にはできない。これが続けられてきたのは、ご先祖様の土地を受け継ぎ、子孫に残すという日本人の生き方である。経済だけであれば日本の中山間地の稲作はすでに消えていたものだ。だから、平均年齢が70歳の農業国になっている。この70歳の農業者に対して農業を止めて、福祉の対象に成れというのが、日本の稲作農業に対する政策だ。地方の社会の根底には、こうしたご先祖から受け継いだ土地を守ることを生き方として貫く無数の人がいる。その人たちがいよいよ70歳を超えてしまったのだ。次の世代にはその馬鹿馬鹿しさを先に感じてしまい、経済から外れた農業を続けることは出来ないだろう。稲作は国際競争力のある農産品にはならない。国際競争力という価格でお米を見ることを止めなくてはならない。

お米は日本の水土をどうするかという観点で見なくてはならない。日本というものが何かと繰り返して考える。それは日本という国土に根差して出来上がった日本人の作る国であろう。日本の経済はお米を中心に据えて回ってきた。おもてなしとか、もったいないとか、日本人の徳性として言われるものは、おおむね稲作から生まれたもののようだ。水土というものをかけがえのないものと感じる暮らしから、日本人は出来上がった。水に流すと同時に、水を汚してはならないと生きてきた。お家大事であり、他人様に迷惑をかけない生き方。日本の農業を守るという事は、稲作を守れるかどうかである。特に経済的に困難な中山間地の稲作である。農業が失われるという事は、地方社会が失われることであり、日本の自然環境が失われるという事になる。この問題を、日本の未来をどうしてゆくのか。地方創生とか、一億総活躍とか言う言葉の背景を掘り下げて考えなければならない。

 - Peace Cafe