選挙制度の問題点
自民党は30%の支持で、60%の衆議院議員を確保している政党である。これが小選挙区制の深刻な問題である。民主党が政権を取った時も同じことが起きた。どの政党を支持するとしても、現在の選挙制度は政策を選挙で選択したことにはなっていない。ところが、政府は圧倒的な数の力で、政策のすべてが支持されたとして、強硬に国会を運営してゆく。選挙を何度したところで、自分たちが支持されるという自信があるからだろう。しかし、30%しか支持者がいないのだから、有権者の興味が選挙から離れてゆく結果になる。どうせ投票に行ったところで無駄だからである。投票率の低下すれば公明党の存在が大きくなる。政権党にしてみれば都合の良いことになる。その結果おかしいと思いながらも、今の選挙制度を継続することになる。よって政府がどんでん返しになるのは、大きな破たんが起きるまで待たなければならない。最悪の事態によって雪崩現象が起きる時だろう。諦めるわけにはいかないが、相当に苦しい状況である。
どんな選挙制度であれ、なんらかの矛盾は当然あるが、現在日本で行われている小選挙区制は、議会制民主主義とは言えない状態まで悪化している。国民の気持ちからかい離した議員による政治では、民主政治が維持されるとは考えにくい。なぜ、これほど国民の意思に反した、議員配分になっているかと言えば、公明党という存在である。創価学会の宗教的思いによって左右される政党が、自己保存のために自民党に忠誠を誓っているからである。それが政策に反映されていて、アメリカとの軍事同盟強化の安保法案と、消費税軽減税率が取引されたのだ。そもそも創価学会に政治的な思想があるとは言えない。しかし、宗教としての創価学会には池田思想という独裁的思想がある。これは宗教としては問題はないが、そのまま政党の意思となれば民主主義を崩壊する原因になる。その一例が、沖縄の選挙結果にあらわれている。自由投票になると自民党候補は勝てないのである。
選挙制度を公正なものにするためには、有権者の見識が高くなければならない。個人の利害だけでなく、地域の利害を考え、国の利害を考え、世界の利害を考えられる有権者が多数にならなければ、民主主義は成立しないということになる。次の参議院選挙では、野党の統一候補が作れるかが焦点である。様々な政策の違いはあるとしても、今最大の政治的テーマは、自民党一党独裁政治を打破できるかである。民主党に対する信頼もない。野党もばらばらである。このままで選挙になれば大変なことになる。久野の方で、ダックが来ることに賛成だったという人にお会いした。理由は、ダックまでの道路が広く良いものになるという事だった。当時反対運動の中でそういう発言は出来なかったと言われていた。確かにそれぞれが自由に意見をかわす、民主主義的土壌が成立していない。民間のごみ焼却施設では道路が広くなる事はまずない。それなら条件を付けて交渉すればいいという事だった。広い道路になるのは市の焼却施設である。こういう議論もできる環境は必要だったのだろう。
住民の考えを把握するためにインターネットの利用である。インターネットの普及が進めば、地域の意思が簡単に把握できる。ごみの焼却に関しての住民の細かな考えを把握することができる。そうしたことが政治に反映する手法が生まれない限り、選挙は有権者から離れてゆくことになるだろう。それが政権にとっては都合の良いことだから、政権党が変えようという事は間違っても出てこない。定数の変更すら、最高裁に違憲と言われても、政権党にはなかなか実行ができない。直接民主主義が有権者の増大によって不可能になったのだが、インターネットによって、もう一度直接民主主義が復活できる可能性がある。住民投票を頻繁に行う政治である。石垣島では、市庁舎の場所決めの住民投票が1週間後ある。こうして、市政にに関心のある市民が育つのだと思う。