石垣島自衛隊配備計画の進捗状況
石垣島自衛隊配備の進捗状況については、八重山毎日新聞を読んでいるので、様子がよく伝わってくる。民主主義というものが報道によって支えられているという実感を得られるこれこそ報道の役割だろう。こういう新聞を止めさせろという自民党の思想は民主主義を理解していないと思う。石垣島自衛隊配備については、石垣島に暮らす人たちが決めるべきことだ。たとえ政府が日本の国防のために必要だと主張したとしても、また国民の過半数がそう考えたとしても、その地域に暮らす人の意思が最も尊重されなければならない。辺野古米軍基地拡張に関して、国防の問題は国が決めることだから、市町村や県の意思を無視してもいいと言うのは、民主主義を根底から覆している論理である。民主主義の主権は一人一人に存在する、主権在民という思想に基づかなければならない。国防上の理由などで、個人の主権を、公共の利益によって侵害するときは、その公共の利益が最低限明確なものでなければならない。
安倍政権の主張する、普天間基地の危険除去だけでは辺野古移設の根拠にはならない。個人や地域の意思を侵害するだけの理由には当たらない。米軍基地の危険を辺野古という過疎地に移設するというだけのことになる。そこに米軍基地がなければ、日本の安全が守れないという論理を明確にしなくてはならない。同じことが石垣島への自衛隊配備計画には存在する。石垣島の安全のために自衛隊の配備が必要という事が理由であるならば、その軍事的な根拠を示す必要がある。ところが政府の説得工作は石垣島の経済的恩恵を示すことで説得を計る方針のようだ。自衛隊員が、500人石垣で暮らすとどれだけの経済的効果が生じるかなどという事になる。また、基地の土地買収をする。あるいは、借り上げるという事で、その条件の対象となる地主を自衛隊誘致派と仕立てる。工事業者も誘致派に位置づけられる。そうした利権誘導によって、住民の意思を動かそうというのが政府のやり方である。
現在石垣島では、自衛隊基地が想定される地区の周辺3(公民館)自治会が、防衛大臣に対して反対を表明し、説明会の開催も拒否することを通告した。これに対して、石垣市長はまだ石垣市全体の意思とは言えないので、態度を保留すると表明し、開催場所の変更で対応するようだ。私の感触では、石垣市長はすでに政府との間で、受け入れ了解の下打ち合わせは出来上がっている印象がある。そのためにきっぱりとした住民の意思にこたえる発言をできないでいる。該当地区の住民の話し合いの中では、「農業地域であり将来も農業で暮らしてゆきたい。そのためには後継者が喜べるような地域でなければならない。自衛隊の基地の隣でやる農業では後継者はついでくれないだろう。」このように話し合ったという。地域住民に対しては、今後様々な形で、裏からも表からもアプローチがあることだろう。辺野古においては、周辺自治会にだけ特別な補助金を政府が直接支給するという事まで行っている。まさに拝金主義政府の手法だ。
石垣島は観光と肉牛が好調で、展望が明るい。癒しの島石垣は、これから世界でも注目される島になることだろう。そんな場所に自衛隊基地は不似合いだと感じる。中国や台湾アジアの観光客の集客も計画しているようだ。自衛隊の配備が石垣島の安全どころか、むしろ中国と敵対する不安定要因を作りかねない。石垣島という歴史的にも国境に位置する地域の意識は、政府の国益とは違う、歴史からくるバランス感覚が存在する。台湾からの移住者も普通に存在する島なのだ。武力によっての安全よりも、友好関係による安全という意識が強いのだと思う。健全な報道が存在する石垣の素晴らしさ。それは沖縄全島に言えることだ。逆に言えば、日本本土にはまともな報道が存在していないという事である。政府が誘導するように、コマーシャルで締め付けられていると言えるのだろう。