日本原子力研究開発機構の失格
原子力規制委員会は13日、高速増殖炉もんじゅの運転主体である日本原子力研究開発機構には適格性に重大な懸念があるとし た。これは大変な事態だ。高速増殖炉という危険な施設を運営してきた、日本原燃が無能であると決めつけられたのだ。大きな事故を何度も繰り返してきた。そして繰り返し改善の指示が行われた。しかし、結局は組織自体が、無能集団だから運転は無理だから、止めろということになったのだ。これは政府の責任が重大だ。文部大臣や官房長官はまるで自分たちに責任がなかったような回答をしている。管理体制を理解していない、恐ろしいことだ。周辺住民は日々命の危険にさらされていたというのに、なんという鈍感なことか。日本のエネルギー政策の根幹にかかわることなので、次の運営主体を見つけて、継続してゆくなどとのんきなことを述べている。いったい日本原燃の無能な運転の原因究明はやらないのか。杭打ち偽装と同じで、何故こういうことが起きたのかがわからなければ、繰り返されることになる。
原因は能力を超えたことをやっているために起きている可能性が高い。なぜもんじゅを廃炉にできないかと言えば、原子力発電所で出る核廃棄物の処理ができないからである。地下深くに埋めるということになっているが、その適当な場所が火山国で太平洋プレートの淵にある日本にはない。そのために、原子炉の上の仮置き場のプールににあふれんばかりにたまっているのだ。もんじゅでは核廃棄物が出ない。プルトニュームという原子爆弾の材料になる核廃棄物を直接使えるというものだ。しかも消費される以上に燃料が再生産されるという、夢のような技術は、まだ完成していないのだ。高速増殖炉は夢の技術ではあるが、到底完成できない厄介なものだ。無理な技術ということは、ほぼ分かってきたのだが、止めることができない。こんなばかばかしい施設に1兆円を超えるお金を捨て金にして、日本原燃にやらしてきたのが政府のエネルギー政策なのだ。こんな環境では無能集団になるのも当然と言えばいえるのだ。
世界中で挑戦してあきらめた高速増殖炉。アメリカ、イギリス、フランス、ドイツとあきらめたものだ。六ヶ所村の核廃棄物の再処理工場でも、やはりうまくゆかない。ここもうまくゆかないのに、再処理の研究を続けている理由は核のゴミの行き場がないからなのだ。核のゴミの処理に見通しのない政府としては、この2つの施設を止めるに止められずしがみついている。運営主体が無能という以上に、政府に見切りをつける判断力がないのだ。世界中で事故が繰り返され続け、あまりに危険だということでやめた技術が高速増殖炉なのだ。ところが、引き返す勇気のない日本政府は、つまり一度行った政策を間違っていたといは言いにくい日本の社会の仕組みに原因がある。企業なら倒産である。建前社会では、核廃棄物がリサイクルされ、資源になるという建前技術だから捨てきれない。核廃棄物はすでに満杯である。
もんじゅを止めるということは、原子力発電を止めるということになる。現状では核廃棄物の地下処理に見込みがないのだから、再処理が出来なということになれば、さすがの政府も原子力発電の中止を考えざる得ない。核廃棄物が処理困難物と決まれば、原子力発電の電気価格は一気に高いものになる。現在、価格に入れられていない理由は、資源と位置付けられているからだ。電力会社も当然原子力から手を引くことになる。政府の交代がなければ廃炉は出来ない。日本原燃の交代だけでは処理が着かない事態なのだ。無能な政府が過去を引きずっていて、方針の転換ができない。こういう時は政権交代だ。ところが、交代すべき政権がない。ダメな自民党政権が改心するのを待つしかないのか。とすると、原燃がだめだったように、最後は日本は沈没なのか。恐ろしいことだ。