ヨーロッパへの難民が急増
ヨーロッパへの難民は今年に入り急増している。TBSテレビの報道特集で知った。昨日にはNHKでもやっていた。中東の情勢の悪化である。イスラム原理主義の過激派の問題がある。アフガニスタンやシリア、そして北アフリカからの難民がヨーロッパになだれ込むようにすでに今年だけで、31万人に達しているという。ギリシャやイタリアに小さな船で流れ着くように逃れてくる。船の沈没事故も後を絶たないようだ。先日はオーストリアで冷凍トラックの荷台に隠れていた71人の難民が窒息死した事故が報道されていた。ドイツがその難民を一番に受け入れている。昨年は21万人の難民。ヨーロッパの受け入れの40%がドイツなのだ。難民受け入れのNPOの代表のコメントでは、ドイツは戦争で世界に大きな被害を与えた。戦乱で困っている難民を受け入れるのはドイツの国としての義務である。こう答えていた。しかし、ドイツでも難民受け入れを拒否する組織があって、難民を暴力的に攻撃しているそうだ。しかし、ドイツの農村が難民を受け入れ、村の人たちが温かく難民を守っているということも報道されていた。
日本では果たして、難民を受け入れることができるだろうか。日本は難民受け入れに消極的な先進国として、こういう時にはいつも言われている。しかし、申し訳のないことではあるが、日本での難民受け入れは困難だと考えている。日本の文化伝統の中に、異民族の受け入れは根付いていない。タイではウイグル族の難民を強制送還したことが、テロ事件につながったようだ。朝鮮人の日本本土受け入れで、日本は間違いを犯し、在日問題では深刻な状況が今も続いている。努力をしても韓国朝鮮と犬猿の仲は深刻化するばかりである。秀吉の朝鮮出兵があったにもかかわらず、江戸時代の付き合い方であれば、友好的なものになっていた。一定の距離があった方がうまくゆくということもある。
そもそも、外国で暮らすということは難しいものだ。フランスにいた3年は全くつらいものだった。差別を受けるという感触に耐え難いものがあった。例えば、美術学校の同じアトリエの仲間から、日本人は絵を勉強しに、ボザールに大勢来るが、日本には絵画などないだろう。と面と向かって言われたことがある。ヨーロッパ海画以外を絵画として認めないというようなレベルの人が、美術学校の生徒にもいるのだ。日本絵画を高く評価していた、アンドレ・マルローの話をしたが通じなかった。靴を買いに行って、サルが靴を履くなど大笑いだと、店員同士で話しているのを聞いてしまったことがあった。郵便局で切手を買おうとして、幾らの切手なのかわからないという理由で、売ってもらえなかったことさえあった。紙に数字を書いているにもかかわらずである。それでもフランスは差別がない国ということになっている。
日本のような島国の文化の中に、何十万人もの難民が入ることは、新たな問題が生じることになる。日本の現状にはそれだけの受け入れ態勢がない。難民を受け入れることになるためには、それだけの時間をかけた準備が必要だ。安倍政権は外国人労働者の受け入れを推進してゆく方針を打ち出しているが、これもやめた方が良いと考えている。うまく言えないが、それぞれの国が各々で自主独立でやってゆくのが基本である。各国の自主独立の努力を支援するのが日本の国際貢献ではないか。シリアが戦闘状態に入り、ドイツに国民が逃げるということは、シリアのアサド政権の問題である。日本には発言するだけの力量がない。ヨーロッパ諸国の致し方ない緊急的処置なのだろう。中東の混乱状況には、日本もかかわりがない訳ではない。日本は経費負担をするべきだと考える。ユーロ諸国に対して、できる限りの金銭的負担を負う他、方法はないと思う。