水彩人小品展横浜が終わる。
水彩人小品展に出した絵を会場で写した。暗くてよく分からないが。
水彩人の10日間の展覧会が終わった。4日間横浜に出かけた。横浜というところは出かけたことがなかったので、あちこち歩いてみた。連日暑い日が続いたのだが、ともかく早めに家を出て、会場に行く前に歩いてみた。炎天下大勢の人でにぎわっていた。観光客も多そうな感じだった。外国の観光客の人も多数いた。そういうごった返した感じが面白かった。街は街の面白さがあって、見るだけでも十分面白い。適当なお店で食事もしてみた。どこもおいしかったし、値段もそう高くなかった。お上りさんという言葉があるが、見るもの聞くもの珍しくて、興味津々だった。そういう意味では外国人観光客と同じレベルで面白かったのだろう。お店には外国人向けに商品が並んでいるところが多かった。免税店とか宝石店が結構ある。外国人が店番をしているところも多かった。そして、高級そうなてんぷら屋さんやら、和食の立派なお店があったりした。
今日も歩いてみようかなというので、結局4回も横浜を歩いた。古本屋とソープランドが結構あって、人間はすごいもんだと思った。何しろ、40度近い場所の午前中の通りで、客引きの若い人がうろついている。新宿の午前中とはだいぶ雰囲気が違う。ごく普通の商店街や、オフィース街と混在して猥雑を演出しようとしているが、なかなか難しいく白けていた。中華街には結構行っていたが、やはり歩けば面白いところだ。街を見るのも、山歩きと同じでいえば、頂上を目指さないトレッキングのようなもので、歩くだけでもそれなりのものがある。
小品展は入場者が多くはなった。500人ぐらいだった。それでも見えた方と絵の話をすることができた。絵の話は好きだ。話を聞かせてもらうことが大切だと思い、なんとか聞き出すようにしている。多様だということと、透明水彩の絵は疲れない。こういう感想が多かった。今回の展覧会では、名前だけで作者の肩書は表示しなかった。経歴で絵を見るというひともいる。文化勲章受章者の作品だから面白いという見方だ。あるいは戦死にした人の作品だという物語が、絵を見せるというのもある。私は、自分自身の絵の勉強のために絵を並べてみる必要があると考えている。見ていただくということもあるが、比重の大きさは自分が並べてみて確認したいということになる。人の絵と並べてみて初めて自分の絵が見えてくるものだ。しかし、展覧会を開催しても、絵を出すだけで全く見ないという人もいる。遠くならまだしも、たいして遠くない人でもそういう人はいる。つまり、学ぶ気はないのだろう。と言いながら、自分の進歩のなさを考えれば、人のことは言えない。
里地里山を描こうと考えている。そこにある世界観を確立して絵にしたいと考えている。それが自分が見ている世界だからだ。横浜をやたら見て歩いたのも、街の世界観との違いを見たかったのだ。街には街の暮らし方があって、里地には里地の暮らしがある。いずれも人間がひたすら生きている。その人間の暮らしが作り出した世界観を、美しさという視点からみている。街で気づいたのは、人間そのものの美しさである。呼び込みのお兄さんも、外国人観光客も人間として美しい。描きたくなるようなものを感じた。その同じ目線で、里地を見る。少し、見直すようなところがある。麻見た田んぼが翌日には少し違うように見える。田圃と人間を同じ目線で見るというのも、どこか申し訳ないが、絵を描くときはそういう目線になるのだろう。
それにしてもいい仲間が集まったものだ。外からどう見えるかはよくわからないが、自分が絵を突き詰めてみるには、絶好の仲間がいる。リトマス液のような存在だ。リトマス紙を液に浸してみて、初めて自分の色合いが現れる。私絵画だからこそ、絵を並べてみる必要がある。だから、誰の絵はいいとか、悪いとかより、私に参考人るものはないか。自分の絵と比較しながら、何度も、何度も見て歩いた。