70年談話と有識者懇談会報告書
70年談話に関する有識者懇談会報告書の全文を読んでみた。この報告書は安倍氏の要請した5項目に従っている。この要請は不十分だと思うが、その範囲ではよく書かれている。過去2回の総理談話に対するアジアでの反応の分析を出してもらいたかった。安倍氏のお友達でも、このように考えているのだと思った。歴史というものは重いものだ。よく書かれた報告書だと思った。謝罪に触れていないのは、安倍氏の要請がそうなっているからだ。この件では戯作者の見通しが狂ってきている。戯作者の結末は、自民党憲法の成立にあるはずだろう。ところがその結末に話がつながらなくなってきた。安保法制を憲法拡大解釈で押し通せば、もう国民投票で、憲法が改定される可能性はほとんどなくなる。安部政権の強引な軍事力依存を国民は目の当たりにして、憲法改定をしたら恐ろしいことになりそうだと考えはじめている。アメリカに押し付けられた、集団安全保障の見直しをやらないことには、安部氏の切ったはずの見えが、たたらを踏んで奈落に落ち込むことになる。安部氏がアメリカに唯一尊重された、武力協力作戦が崩れ去る。安倍氏を盗聴し、軍国主義者と分析したアメリカである。
さすがに安倍政権の安全保障法制を国民は納得しない。自民党は、国民すべてを公明党員と同じに見ている。決めてしまえば、それに従い、忘れて終わりだと思っている。国民の嫌がる政策でも、実行するのが政権与党の役割だなどと、血迷った発言をしている。国の大きな方向について、国民の同意なくできると考えることは、民主主義というものをはき違えている。国民が納得していないという状況認識があるのなら、ここは時間をかけるというのがせめてもの見識である。一度決めた消費税ですら、選挙をやって延期したのを忘れたのか。国民は経済さえ良くなれば、後のことはどうでもいいはずだと見ている。だから、安保法制の具体例で、ホルムズ海峡を出したのだ。石油が来なくなると脅かせば、目先のことで右往左往すると読んでいたのだ。今は出した事例の失敗に、後悔していることだろう。
70年談話で侵略を深く反省し、近隣諸国に心よりのお詫びを伝える必要がある。それが日本の総理大臣の務めだ。総理大臣談話は日本人の総意として出されるものだ。それが悔しくてできないのでは、未熟な総理大臣と言わざる得ない。間違いを認め、まず謝罪をする。これが現代社会の危機管理である。謝罪に失敗すれば、問題が拡大して、必要以上のところまで問われることになる。そういう企業の謝罪会見の失敗例が山ほどある。火に油を注ぐことになる。大切なことは戦争に巻き込んだすべての人たちへの謝罪だ。侵略をし大きな迷惑をおかけしたということを確かに認めるなら、深く謝罪をするのは、何年たとうが当然行うべきことだ。それが人間の正しい姿だ。刑に服して刑務所にいたので、被害者にもう謝罪しないでは済まされない。
それが未来志向の平和外交である。未来志向という言葉の中に、過去のことはもういいだろうということが見え隠れするのでは、希望の未来はうまれない。この有識者懇の報告書は長文で、わかりにくいところもあるが、学ぶべきところも多いい。なぜ日本が戦争をしたのか。それがある程度分かるように書かれている。言い訳といえばいいわけなのだが、世界は愚かな国で満ちているということだ。日本もその愚かな国の一つになったということだ。今も、世界は愚かな国で満ちている。敗戦から70年たち、日本はその愚かな国の一つになろうとしている。その愚かな国を最近では、普通の国と呼ぶようになった。日本も普通の国になりたいというのだ。日本が踏みとどまらなくては、世界の希望の灯は消える。それが、この報告書を読むと浮かび上がってくる。