つくば市の住民投票

   

つくば市では運動競技場を作るか作らないかで、住民投票が行われた。まず、住民投票が実現できたことを評価したい。80%を超える反対票が入ったという。今の地方自治体の実情をよくあらわしている。選挙で選ばれたはずの市議会が無意味化している。政策選挙に全くなっていない。地縁血縁の選挙で議員は選ばれる。だから政策はその時の行政の都合で適当なものだ。選挙が政策と関係ないから、市議会が無意味化しているのが実態だろう。つくば市では、80%の市民が反対するような、運動競技場の案が、市長と市議会ではまかり通ったのだ。それは全く日本全国そうなのだと思う。小田原でも同じだと確信できる。たぶん建設理由はこれで地元建設業者に仕事ができる。雇用が確保される。その原資のかなりの部分は国の補助金だ。その結果様々コンクリート物が建造されるのだ。つくばでもきっと住民投票を苦虫つぶして怒っている、20%の利権関係者がいるはずだ。本当に運動公園が必要かどうかなど、問題外なのだ。

衆議院を通過した安全保障法制でも同じことだ。ゆがんだ選挙で圧倒的な多数派として選ばれている与党案を60~80%の有権者がこの国会で決めるべきではないと言っている。当然国民投票にかければ、間違いなく否決される法案である。それでも与党は、選挙で公約として示したのだから、国民に嫌われるような法案も、責任ある与党として成立させねばならぬなどと、訳のわからないことを言っている。訳が分からないかどうかすら議論にならない。あのホルムズ海峡の話は今やどこかへ飛んで行った。そして今度は中国脅威論である。わざわざ、中国の天然ガス採掘を外交白書で取り上げた意図を考えればよくわかる。あんな天然ガスは絶対に利益などでない。利益が出ると考える企業があるなら、日本も日本側で掘ればいいのだ。中間線の中国側でいくら掘ろうが中国の勝手なことだ。中国は中国の事情で儲かりもしない事業に手を出さざる得ないのだ。そうした公共事業は中国のいたるところに存在して、それが中国の崩壊につながる可能性が高まっている。どこの国でも経済は利権で動く。

小田原の市議会には全く興味を失った。どうでもいいというのが正直なところだ。存在自体がくだらな過ぎる。つくば市と全く同じだ。市長の主張した市民参加の市政など、どこへ消えたやら。あれだけ市民参加で協力したつもりが、市長の意思でその火を消された。その過程はブログにも書いた。興味のある人は読んでみてほしい。さらに驚くべきことには、議会では生ごみの減量事業の、後退に全く反応すらなかった。たぶん市民参加の意味すら理解できていなかったのである。あれ以来、もうどうでもいいというのが心境である。これほど無駄なものに時間を割いているのは時間が惜しい。勝手に堂々巡りをしていればいい。どうせ小田原の市議会など良くなる訳もない。

その原因は政策選挙になっていないからだ。顔を売って、名前を売って、どぶ板的に歩き回るだけである。何かやりたいことのある議員などめったにいない。数人にとどまる。まあ、大半の人の主張が小田原を元気にするとか、明るい小田原にするという人たちである。もっと具体的にこれがやりたいのだという意思を明確にして、その是非を問うのが選挙でなければならない。これは、国会議員も同じことだ。自分の意思を明確にしないというのが、当選の近道と考えている人ばかりだ。確かにそれで当選している。だから、TPP反対なのか賛成だったのか。安全保障に関してはどういう考えだったのか。ホームページを見てもよくわからない。日常活動として、夏祭り周りをしているということは分かる。それが当選するには必要だからだ。結局は、有権者のそういう態度が、政治を無意味なものにしている。その機能していないことをいいことに、トンデモナイ、運動公園ができて、日米軍事同盟が強化される。しかし、国民投票をすれば、運動公園も、憲法も、正しい選択がされるところがまだしもの救いだ。

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