資本主義とテロリストの出現
元防衛大臣が、イスラム国の残虐な殺人を前にして、こうした時は国を上げて、一致団結して対応を取らなければならない。政府の姿勢を批判する事は、与野党初め、国民全体にもあってはならない、と発言していた。民主主義の理解を完全に間違っている。まるで戦時下の陸軍大臣の発言のようである。今回の事件をこういう形での言論の誘導に使おうと言うことが、安倍政権の持つ一つの意図であろう。国会での集団自衛権の議論を聞いていると、安倍氏の言動はエスカレートしてきている。民主主義に必要な事は、広範で自由な徹底した議論である。その議論をしないで、問答無用で政府の言うとおりにしていなければ、国防上日本の国益に反するという主張は戦時下の発想である。一致団結が国益を誤った歴史を思い出す必要がある。自民党憲法制定までは、現憲法に従い議会制民主主義で進めて欲しい。
今回のイスラム国の日本人殺害事件は、全く別である。決まっているのは平和憲法で、国際紛争を平和的手段で解決しなければならない、という事である。それを変えようと言うのが安倍氏の目論見であろう。今回のイスラム国の行いは、国際紛争と言うより、殺人という犯罪である。このテロリストたちの犯罪を取り締まる事は、世界中で行わなければならないという点では、異論はない。しかし、テロリストの増加、過激化の原因を考えなければ、テロ犯罪が減少する事はない。テロリストの増加には、アメリカの軍事行動が大きく影響している。アメリカをはじめとした有志連合の空爆で殺される人達の恨みが、暴力の連鎖として反映している。テロリストの掃討数より、テロリストは増加している。資本主義世界の行き詰まりから来る、異常な思想の持ち主の増加もあると考える。相次ぐ、人殺し願望事件。路上における無差別殺人。家庭内での子供の虐待殺人。何か異常としか考えられない傾向が社会に生まれてきている。
ヨルダンではイスラム国せん滅に向けて、強硬論が湧きあがっている。パイロット殺害に対する報復である。アブドラ国王は、大規模な報復を表明し、オバマ大統領は 「イスラム国とその憎むべき思想を歴史のかなたに葬り去る」と宣言。イスラム国の問題はただ、テロリストをせん滅すれば済むと言う事ではなくなっている。テロとの戦いが叫ばれるほどに、テロリストが湧いて出てくると言う、世界で起きている異常の原因を考える必要がある。家庭内での子供虐待は犯罪である。これを防ぐためには、様々な仕組みが必要であると同時に、家庭というものが良い環境で置かれるような社会に変わらなければならない。よい社会になれば、自ず家庭内犯罪は減るはずである。格差社会が激化して社会に異常が起きているから、事件が頻発する事になる。
異常事態の背景にあるものは、能力主義の行き過ぎにあると考えざる得ない。能力のないと言う事は自己責任だと決めつける社会。努力が足りない。頑張りが足りないと決めつけられる社会。その結果生まれている、富の偏在の現実である。一部の人間が資本を独占して、政治も動かしてゆく。日本は資本主義を学び、欧米の主導する経済競争の真っただ中に乗り込む道を選んだ。そしてのし上がり、それなりの地位を占めた。経済力が無ければ、国家としても軽視される国際社会である。韓国に起きている社会的問題は先行事例である。日本の社会もそこに向かっているような気がしてならない。中東諸国はその石油を背景にした経済的地位によって、発言力を強くしてきた。しかし原油の未来も揺らいできた。イスラム諸国も、自分達の思想、宗教、尊厳を大切にしたいのであろう。その価値観が西欧社会とは少し違う。この違いを容認しない限り、幾ら力で押しつぶそうとしても、テロはエスカレートして行く事になる。